世界物語(73)
ウィーン美術史美術館は “教科書クラス” の絵画がズラリ!
美術ファンには 垂涎(すいぜん)の的!


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  ブリューゲル 『バベルの塔』

 ※すべての写真は、クリックして大きく鮮明に見ることができます。
 今回は ぜひすべての写真をクリックして見てください。



ウィーンに行ったら、美術に興味のある人も、ない人も ぜひ一度、ウィーン美術史美術館に訪れてみることをお勧めします。

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  ウィーン美術史美術館  赤い丸が マリアテレジアの銅像です

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  マリアテレジアの銅像(正面)を拡大した写真です

といいますのは、ウィーンはその昔、城塞都市であって、その名残の城壁だった壁の上を利用して道路を作って、それが今ではウィーンを丸く囲むようになっていて、その名も “リング通り” と呼ばれています。

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 赤い枠が “リング通り”と言われています。左下にウィーン美術史美術館があります。


その長さは5.3kmと言われ、このリング通りに沿って、その周辺や、その内側は歴史地区として世界遺産にもなっています。

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  ウィーン国立歌劇場

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  正面に見えるのが エクイタブル宮殿 です

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  シュテファン大聖堂(北塔)


このリング通りに沿って さまざまな歴史的建造物が立ち並んでいますから、ここを歩きながら、あるいは車窓からでも見物できたら、ウィーンの街の美しさと偉大さに感動することでしょう。
(私も以前に行った時、早朝の散歩にこのリング通りを2回に分けて一周した思い出があります)

ウィーン美術史美術館は、まさにそのリング通りを歩きながら行くと、ひときわ堂々とした建築物として そびえ建っています。
この度、私が行った時は美術館の広場が何かの工事中で、仮設の建物やテントが立っていて、その立派な外観を一枚の写真に収めることができませんでした。
それでも私の目線で私が撮った写真を掲載しておきます。

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  ウィーン美術史美術館の広場には、テントや仮設建物が立っていました。

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  側面から見た マリアテレジアの銅像です

 

さて、内部の美術品、とりわけ絵画が圧巻です。特筆すべき作品を並べてみます。
以下は 私が撮った作品の数々です。

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  ブリューゲル 『雪中の狩人』

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  ブリューゲル 『農家の婚礼』

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  ブリューゲル 『ゴルゴタの丘への行進』
 
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  ルーベンス 『ヴィーナスの饗宴』

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  フェルメール 『絵画芸術』


今回は、日本の有名美術館と同様に、日本語音声ガイドが貸し出されていました。 これさえあれば、どんな外国の美術館でも、一人で何時間でも美術品と対話するように、しかも作品や作者について知識を深めながら、静謐(せいひつ)な美術館の雰囲気に浸って過ごせますから、それは至福の喜びとなります。

(私が写真に納めきれなかったところをネットから引いて掲載しておきます)


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  ベラスケス 『青いドレスのマルガリータ王女』

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  ラファエロ 『草原の聖母』



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世界物語(72)
 タマげた タマタマ信仰?? ブダペストでは女子高生たちが タマタマ タッチで合格祈願!

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  マリア・テレジア時代の将軍の騎馬像だそうです
     さぞ いかめしいお方だったのでしょうが・・・


 ※すべての写真は、クリックして大きく鮮明に見ることができます


 ハンガリーのブダペストの街に観光に出たところ、現地ガイドさんが“おもしろい”ところに案内してくれました。
 そこは 街なかの ちょっとした広場のようなところで、そこには唐突に一頭の騎馬像が立っています。 ところが ちょうどその時、数人の男女の高校生たちが 群がって騎馬像にすがりつくようにして、手を伸ばして騎馬像の下腹部あたりを触っています。そして、楽しそうに 皆で盛り上がっています。

 ガイドさんの説明では、近くに高校があって、その生徒さんたちが大学の受験シーズンになるとやって来て、騎馬像の睾丸にナデナデ触って合格祈願をすると、みごと念願成就する との“信仰”があるのだそうです。
ために、像の下腹部の“その部分”は光って輝いています。

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  光っています ”その部分”

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  この足の部分を手すり替わりにして よじ登るので ここも光っています


 私は ちょうど男女の高校生たちが群がっているところに遭遇したのですが、よく意味がわからなくて、その光景を写真に収めることができずに、一群の高校生たちが帰って行く後ろ姿しか撮れませんでした。

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  ひとしきり、触って 盛り上がったあとで帰って行く女子高校生たち


 では、なぜこんな「信仰?迷信?」があるのでしょうか。
 それは、ハンガリーでは、クローバーは たとえ四ツ葉でなくとも幸運をもたらす とされているのだそうです。 ハンガリー語で「クローバー」は「Lóhere」。 そして「馬の睾丸」も「Lóhere」。 なんと同音異義語!
イワシの頭も信心から・・・。 つまり、四ツ葉のクローバーならぬ 馬の睾丸でも幸運はもたらされるのです。(「特に受験時の幸運を呼ぶ」とされているそうです)

 ありがたや ありがたや。

 かくして 花も恥じらう女子高生といえども、合格のためです。サワサワ タッチします。

 ”信仰“とは ありがたや ありがたや です(笑)(笑)
 

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 付記 
私が撮り損ねてしまった”現場”の証拠写真ともいうべき画像を発見したので、許可を得た上で掲載します。



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   ちょうど触っているところです

  ※ Japán Magyarország Blog (日本ハンガリーBlog)
    ハンガリー旅行記(49): 馬の銅像 より写真を引用



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世界物語(71)
 ドナウ河クルーズ船のレストランスタッフは
 超おどけ者??!  でもFacebookで友達に。



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 黙って立てば こんなにイケメンなのに、実は”超”がつく おどけ者。

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 私の参加した『美しく青きドナウ河の船旅』は、ハンガリーのブダペストからドナウ河を遡上して、途中 沿岸の各都市を観光しながらドイツのデッゲンドルフに至るというものでした。
 その間、セレナーデ号という3階建の“豪華”客船に乗って、9泊10日を船上で過ごします。

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  船の3階の前方はレストランになっています。


 食事は朝、昼、夜 3食をほとんどクルーズ船のレストランでとっていました。最初のうちは 同行のお客さん同士も日本人30人位で、レストランのスタッフも総勢で7~8名で緊張感がありましたが、次第に慣れて来て、顔見知りにもなってきました。

 ところがスタッフの青年の一人が 時々“変わった”素振りをします。
食事はブッフェ式ですので、お客さん達が自分で料理を運んで、席に着いて食べ始めると、しばらくスタッフ達は手持ちぶさたになる時間があるようです。

 すると、その青年スタッフは、手にしたお盆で小さな動作をして日本の大相撲の弓取り(式)のように、クルクル回したり、左右の手でリズムをつけて持ち変えたりします。
 顔は と見れば、素顔としてはヨーロッパ人らしい“イケメン”なのですが、目をくるくるさせたり、顔芸をしたりして、まるでお笑いタレント風です。

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  顔芸、手芸、体芸で おどけて見せます。


 ある日の食事の時に、私のデザートのスプーンがありません。この時は、食器をセットしたスタッフが忘れたのだろうと思って、スタッフを呼んで新しいスプーンを持って来てもらいました。

 ところがです。 また ある日の食事の時に 早く席についた私が、料理を一皿盛って席に置いて、もう一皿を取りに行って戻って来ると、さっき置いた 私の皿がありません。 えっ と不思議に思って近くのテーブルを見ると、なんと そこに私の盛った皿があるではありませんか! 誰かが、私がもう一皿取りに行っている間に、私の最初に置いた皿をこっそり他の席へ移したのです。

 誰がこんないたずらをしたのでしょう?!

 その日は食事をしながら、怪しんで周囲の人の行動を見ていました。
そしたら「発見!」したのです。あの青年スタッフが他の人の席でセットされた食器のナイフだかスプーンを、歩きながら さっと取って自分のエプロンのポケットに入れたのを! 
私は、犯人を見つけたぞ とばかりに、すぐ近くにいる別のスタッフに小さく彼を指差して確認すると、そのスタッフも うんうんという顔をして笑って うなずいています。

 また 別のある日の食事の時に、あの“おどけ者”のスタッフが僕の席にニコニコしてやって来たので、「May I have your name please?」と僕もニコニコしながら、ていねいに聞くと、なんと彼は、すかさず「sexy!」とおどけた風に一言返してきたのです。
 私は、なんて おチャラケた男なんだ!と内心思いましたが、笑っていると私のスマホを見て「オレの写真を撮っても良いよ」というように微笑んだので、そこで すぐさま1枚撮らせてもらいました。(これが表題部の写真です)

 さて、船が終着地のデッゲンドルフに着いて、私が下船しようと並んで待っていると、近くで彼が見送りにでも来たようにして立っているではありませんか。
 そこで、私がすぐさま駆け寄って、この(変わった?)青年のことをFacebookに書きたいと思い、「あなたの写真をFacebookにあげてもいいですか?」と私のスマホを開いてFacebookのアイコンを見せると、彼は オレもFacebookをやっているよ とばかりに、私から私のスマホを受け取って、手早く、私のスマホを操作して友達になってくれました。

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  なんででしょう。もう 彼と意気投合しちゃったみたいです!


 その時、彼は自分のFacebookの画面を出して私に見せて、にっこり笑ってくれました。
 
 なんと2人は もう旧知の間柄だったように友達になっていたのでした。(笑)(笑) 



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  これは彼のFacebookのトップ画面です。



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世界物語(70)
 オーストリアの「肝っ玉かあさん」 女帝 マリア・テレジア

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 堂々たる貫禄。マリア・テレジア
 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


 ※すべての写真は、クリックして大きく鮮明に見ることができます


 ウィーンの観光ポイントは数々ありますが、主役はやっぱり「マリア・テレジア」と マリア・テレジア・イエローで有名な「シェーンブルン宮殿」と言って良いでしょう。
 ウィーンは600年余にわたりヨーロッパに君臨した 名門ハプスブルク家の繁栄と栄光の歴史の象徴(シンボル)であり、その王都の女帝はマリア・テレジアその人です。

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 宮廷画家マルティン・ファン・メイテンスが描いた幸せあふれる
『シェーンブルン宮殿の女帝マリア・テレジアとその家族』(週刊 世界旅行より引用)


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 『シェーンブルン宮殿』 (週刊 世界旅行より引用)
 これぞロココ調。そしてこれがマリア・テレジア イエロー。


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 シェーンブルン宮殿の庭には、ギリシア、ローマの古典を題材にした彫像が、
随所に配置されています。(週刊 世界旅行より引用)




 「肝っ玉かあさん」というと日本では、同名のホームドラマが思い出され、庶民の中の頑張り屋かあさんと言ったイメージですが、マリア・テレジアはヨーロッパにおける18世紀の国家間を股にかけて、国家のために、家族のために、まさに “男まさり”の“大活躍”を演じた 肝っ玉かあさんの“親分”というべき女性です。

 自分の“帝位の家系”にケチをつける 隣国ドイツの“粗暴”な男王と、くんずほぐれつの戦争をしながら、その偉大な妻の陰に隠れてしまいそうな 大人しく善良な夫をも帝位につけ、夫婦睦まじくも16人もの子供を産み育てました。 しかし48歳にして愛する夫を亡くして未亡人となります。

 黒い帽子をいつもかぶって 未亡人の姿ながら、家族に情愛をもって 国の統治にも一心不乱で励みましたが、晩年は“苦労を知らない”長男を後継皇帝とせざるを得ず、国政は共同統治としましたが、最後まで意見があわなかったといいます。
 
 さらに、特別 愛情を注いで“手塩にかけて”育てた末娘のマリー・アントワネットは、フランス王室に嫁ぎましたが、“親の心 子知らず”でしょうか。 心配の種はつきません。娘に手紙を出すと必ず、フランス語で返事を書かせ、その手紙をまた自ら添削して娘に送り返して、フランス語とフランスの習慣に慣れさせようと身をもんだそうです。

 晩年、心臓を病んだ 女帝“肝っ玉かあさん”は、国の行く末や子供たちの将来を案じながら、63歳で苦しかったであろう生涯を閉じました。
 
 その10年後には 息子は失政を悟って、失意のうちに世を去りました。
 さらに、(時あたかもフランス革命の最中)その3年後には、あろうことか、あの末娘のマリー・アントワネットは、衆人環視の中でギロチン台の上で首を切り落とされて刑死したのでした。
 


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  私が今年の旅行で撮った『シェーンブルン宮殿』

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  庭園内の至るところに彫刻があります。 結構 官能的です。

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  広い庭園の風景です。これもロココ調?


≪参考文献≫
 週刊 地球旅行 (講談社)
 この一冊で世界の歴史がわかる! 著者 水村光男 (三笠書房)

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世界物語(69)

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 旅行パンフレットより

 ※すべての写真は、クリックして大きく鮮明に見ることができます


『美しく青きドナウ河の船旅』という旅行に行って来ました。
ちょうどコロナが一時的に収まっていた頃でした。

ヨーロッパ大陸において ドナウ川はドイツ南部のシュバルツバルト(黒い森)に端を発し、中欧東欧10ヶ国以上を通って 黒海に注ぐ長さ2860kmに及ぶ川です。(ちなみに日本最長の信濃川は367km、10位の阿賀野川は210kmの長さです)


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  iCruiseサイトより引用

 
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  旅行パンフレットより 周遊航路(青い色)

 
 さて、(唐突ですが)(笑) 私は ドナウ川に特別の感情を持って育ちました。
少年期に「ドナウ川」と聞いた時から、その川はヨーロッパを流れる 青く美しい川なのだという印象が固定されました。

 私の家は、阿賀野川の川沿いの集落にありますから、何もない小学生の頃などは春夏秋冬、朝昼晩 川を見て、川で遊び、川で育ちました。
「海の子」「山の子」がいるとすれば、間違いなく私は「川の子」です。
 昔は護岸の工作物もなく、川の水際には白い砂浜があり、川の中ほどには きれいで広大な砂州が広がっていました。 子供ごころに、そこを歩いて一回りしたら、半日はかかるのではないかと思ったものでした。
 夏などは、登校前の集合場所は川でした。早く来た子は、水浴びをしながら、遅い子を待っていたものでした。
学校から帰れば、また川です。舟遊びなどはいつものことでした。
 竹の竿や、木の櫂(かい)を使って子供ながらに舟を操ります。昔取った杵柄(きねづか) 今でも私は、時代劇の船頭さんのように舟を難なく漕ぐことができるでしょう。

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  なつかしく阿賀野川の津川あたりを思い起させます

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  ドナウ川は続き、小さな村や町も通り過ぎます

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  阿賀野川の昔の様子に似ています

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 『美しく青きドナウ川』は私にとって 手近に眺める阿賀野川でした。
 大人になってから旅行で本物のヨーロッパのドナウ川には何回か行きましたが、いつも比べているのは青く美しい阿賀野川でした。

 さて、この度は初めてドナウ川の“豪華クルーズ船”に乗って川波の上で、なんと9泊も過ごしました。
いつも阿賀野川を思い浮かべて ドナウ川を枕に旅寝の夜を楽しんでいました。

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  セレナーデ号 この船に乗っていました

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  日中とは違った様子の夜のドナウ川(ブダペスト)

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  ブダペストに停泊しました

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  私が撮った ブダペスト国会議事堂です


 今回は自分のことばかりを書いたように見えますが、旅を語ることは、また、自分を語ることでもありますので失礼します。(笑)



 
 

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