2014.05.23
亀田郷物語⑨ 稲作の基本 初期生育は水温から
亀田郷物語⑨
稲作の基本 「初期生育は水温から」
今年の田植え後の天候が一定ではありません。
ここ数日は寒い日が続いたりしています。
昨日も最高気温が15℃、最低気温は11℃とのことです。
このような気候に備えて、「初期生育は水温から」という基本があります。
水温は気温に比べて比重が大きくて、夜間など気温は低下しても水温はそれほど下がりません。
それどころか水は、日中は太陽光の熱を蓄積しますから、天気の良い日であれば、気温より水温が高くなり、しかも夜も下がらないので、まるで温かい布団に包まれた赤ちゃんのように保温されて保護されます。
このように大切に守られたら赤ちゃんもすくすく育ちます。稲の苗もまったく同様です。
比重の重い水温に守られて、植え傷みを最小限にして順調に生育します。
一定の期間さえ守ってあげれば、あとは自力で生長します。
ですから、今の時期、水田は「深水管理」されて、田にはたんたんと水が張られているのです。

田植え後すぐに苗がもぐるくらい「深水管理」です

毎日のように「水を見て」まわります

水の張ってある田には水鳥がやって来ます
稲作の基本 「初期生育は水温から」
今年の田植え後の天候が一定ではありません。
ここ数日は寒い日が続いたりしています。
昨日も最高気温が15℃、最低気温は11℃とのことです。
このような気候に備えて、「初期生育は水温から」という基本があります。
水温は気温に比べて比重が大きくて、夜間など気温は低下しても水温はそれほど下がりません。
それどころか水は、日中は太陽光の熱を蓄積しますから、天気の良い日であれば、気温より水温が高くなり、しかも夜も下がらないので、まるで温かい布団に包まれた赤ちゃんのように保温されて保護されます。
このように大切に守られたら赤ちゃんもすくすく育ちます。稲の苗もまったく同様です。
比重の重い水温に守られて、植え傷みを最小限にして順調に生育します。
一定の期間さえ守ってあげれば、あとは自力で生長します。
ですから、今の時期、水田は「深水管理」されて、田にはたんたんと水が張られているのです。

田植え後すぐに苗がもぐるくらい「深水管理」です

毎日のように「水を見て」まわります

水の張ってある田には水鳥がやって来ます
コメントのある方は下記の理事長のメールアドレスへお寄せください。
jyouyoukai2312-blog@yahoo.co.jp
2013.06.10
今年は豊作予想 - 亀田郷稲作
今年は豊作予想 - 亀田郷稲作
今年の稲作は、今のところ豊作が予想されます。
田植えがされた5月の上旬ころは、昼夜とも低温が続きましたが、しかし、強い荒風が吹くこともなく、その後は、むしろ好天と高温の連続でした。

5月に植えた時の稲

そこで、植え傷みが少なく順調に活着(かっちゃく:根が着くこと)し、6月上旬としては分けつ(ぶんけつ:1本の苗の茎数が増えていくこと)も良好に始まっています。
これは植えた時1本だった苗が、今月の30日くらいになると有効的な本数として6本~8本は確保できることになるでしょう。

順調に育っている今年の稲

それぞれ稲の品種によって違いますが、稲の1株あたりの穂の本数はじゅうぶんとれることになりますから、一応、現在のところ豊作タイプです。
稲作のでき具合を予想(占う)することとして、亀田郷では、蒲原神社様が蒲原まつりの前夜である6月30日夜に、神様のお託宣(おたくせん:御告げ)として発表されます。
これは昔から新潟日報にも堂々と報道され、亀田郷の農家の人たちはこれによって、今でも「一喜一憂」すると言ってもまんざら過言でもありません。(笑)
その昔は、その年の米価の相場予想にも使われたそうです。
さて、今日は私が蒲原神社様より20日も前に予想したわけですが、果して「お託宣」とどう違うでしょうか。
というと、神社様には大変恐れ多いことで、バチがあたるかもしれません。(笑) オユルシヲ。
今年の稲作は、今のところ豊作が予想されます。
田植えがされた5月の上旬ころは、昼夜とも低温が続きましたが、しかし、強い荒風が吹くこともなく、その後は、むしろ好天と高温の連続でした。

5月に植えた時の稲

そこで、植え傷みが少なく順調に活着(かっちゃく:根が着くこと)し、6月上旬としては分けつ(ぶんけつ:1本の苗の茎数が増えていくこと)も良好に始まっています。
これは植えた時1本だった苗が、今月の30日くらいになると有効的な本数として6本~8本は確保できることになるでしょう。

順調に育っている今年の稲

それぞれ稲の品種によって違いますが、稲の1株あたりの穂の本数はじゅうぶんとれることになりますから、一応、現在のところ豊作タイプです。
稲作のでき具合を予想(占う)することとして、亀田郷では、蒲原神社様が蒲原まつりの前夜である6月30日夜に、神様のお託宣(おたくせん:御告げ)として発表されます。
これは昔から新潟日報にも堂々と報道され、亀田郷の農家の人たちはこれによって、今でも「一喜一憂」すると言ってもまんざら過言でもありません。(笑)
その昔は、その年の米価の相場予想にも使われたそうです。
さて、今日は私が蒲原神社様より20日も前に予想したわけですが、果して「お託宣」とどう違うでしょうか。
というと、神社様には大変恐れ多いことで、バチがあたるかもしれません。(笑) オユルシヲ。
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jyouyoukai2312-blog@yahoo.co.jp
2013.06.03
亀田郷大形地区一斉清掃 6月2日(日)
亀田郷大形地区一斉清掃 6月2日(日)
亀田郷では、地域内の区域を実は、地区と言わずに「工区」と呼称しています。
これはその昔、「土地改良区」として「耕地整理」をした時に、亀田郷を 9つの区域に分けて、順次工事を進めて行ったことに基づくものでしょう。
その内の大形地区では、毎年 田植えが終わった頃に一斉に組合員が出動して管内のゴミ拾いを行います。



この作業は、亀田郷一斉清掃として10年位前から実施されているものです。
今まで、毎年 不法投棄が多くトラックに何台分も出たようです。
しかし、今年はこのようなひとつの啓蒙運動が功を奏したのか、ゴミは少なかったようです。
「継続は力なり」と言いますが、地域を挙げた善意の活動は大いなる効果をあげるものだと思います。
※ 「亀田郷一斉清掃」でネットで検索すると詳しく出ています。
組合員だけでなく、その家族や地域の住民、学童なども
参加した時期、区域があったようです。
亀田郷では、地域内の区域を実は、地区と言わずに「工区」と呼称しています。
これはその昔、「土地改良区」として「耕地整理」をした時に、亀田郷を 9つの区域に分けて、順次工事を進めて行ったことに基づくものでしょう。
その内の大形地区では、毎年 田植えが終わった頃に一斉に組合員が出動して管内のゴミ拾いを行います。



この作業は、亀田郷一斉清掃として10年位前から実施されているものです。
今まで、毎年 不法投棄が多くトラックに何台分も出たようです。
しかし、今年はこのようなひとつの啓蒙運動が功を奏したのか、ゴミは少なかったようです。
「継続は力なり」と言いますが、地域を挙げた善意の活動は大いなる効果をあげるものだと思います。
※ 「亀田郷一斉清掃」でネットで検索すると詳しく出ています。
組合員だけでなく、その家族や地域の住民、学童なども
参加した時期、区域があったようです。
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2013.04.25
亀田郷物語⑥ すごぼりの桜
亀田郷物語⑥ すごぼりの桜


すごぼりの桜については、ネットで紹介記事がありますのでまずそれを引いて、私の説明に代えたいと思います。
【新潟市 文化観光・スポーツ部 文化政策課 すごぼりの桜まつり より】
私が特に書いてみたかったことは次のようなことです。
現代における日本の様相は、世界の「先進国」として、まるで昔から今日の整備された環境があったかのように見えますが、実はこの「繁栄」はごく近年に構築されたものであるということです。
平成が25年なら25歳以上の人たちは、昭和の時代を生きてきました。
それは終戦の昭和20年を基点として、戦前、戦中、戦後にその生き方が大別されます。
亀田郷という地域は、大まかに言えば 信濃川、阿賀野川、小阿賀野川、そして日本海に囲まれた地域です。
この地域が現在のような田園地帯となったのは、昭和30年代に「土地改良」として行われた農地の「区画整理」からでした。
これにより、この地域一帯が湿地帯の「水郷」から「乾田化」され、現在のような「美田地帯」へと大変身をとげました。
このすごぼりの歴史をたどって記述するとすれば、耕作住民の「水争い」があったことから水を逃がしたり、水を溜めたりとするため、堀を掘ったことにあります。昔のことですから、すべて農村の人力による手作業からです。
「水争い」については、すごぼりの近くに石碑が立っていて、そこに説明がありますのでここでは省略します。

私は、このいかにも「天下泰平」の桜並木を眺めながらも そのような厳しい亀田郷の「歴史」に思いを至らせないわけにはいきません。
ちなみに、「すごぼり」については説明がありませんが、これは「素掘り」のす、「小堀」のこ、からきていると思います。
「素掘り」とは土を手作業で掘って、掘ったままの溝のような状態のものをいいます。「小堀」は大堀中掘とは言えない小さな幅の堀だったのでしょう。
今では立派に大きく、鋼矢板、コンクリート 鉄材などに補強されたものになっています。
まさに、「先進国」の「繁栄」を思わせます。



すごぼりの桜については、ネットで紹介記事がありますのでまずそれを引いて、私の説明に代えたいと思います。
【新潟市 文化観光・スポーツ部 文化政策課 すごぼりの桜まつり より】
私が特に書いてみたかったことは次のようなことです。
現代における日本の様相は、世界の「先進国」として、まるで昔から今日の整備された環境があったかのように見えますが、実はこの「繁栄」はごく近年に構築されたものであるということです。
平成が25年なら25歳以上の人たちは、昭和の時代を生きてきました。
それは終戦の昭和20年を基点として、戦前、戦中、戦後にその生き方が大別されます。
亀田郷という地域は、大まかに言えば 信濃川、阿賀野川、小阿賀野川、そして日本海に囲まれた地域です。
この地域が現在のような田園地帯となったのは、昭和30年代に「土地改良」として行われた農地の「区画整理」からでした。
これにより、この地域一帯が湿地帯の「水郷」から「乾田化」され、現在のような「美田地帯」へと大変身をとげました。
このすごぼりの歴史をたどって記述するとすれば、耕作住民の「水争い」があったことから水を逃がしたり、水を溜めたりとするため、堀を掘ったことにあります。昔のことですから、すべて農村の人力による手作業からです。
「水争い」については、すごぼりの近くに石碑が立っていて、そこに説明がありますのでここでは省略します。

私は、このいかにも「天下泰平」の桜並木を眺めながらも そのような厳しい亀田郷の「歴史」に思いを至らせないわけにはいきません。
ちなみに、「すごぼり」については説明がありませんが、これは「素掘り」のす、「小堀」のこ、からきていると思います。
「素掘り」とは土を手作業で掘って、掘ったままの溝のような状態のものをいいます。「小堀」は大堀中掘とは言えない小さな幅の堀だったのでしょう。
今では立派に大きく、鋼矢板、コンクリート 鉄材などに補強されたものになっています。
まさに、「先進国」の「繁栄」を思わせます。

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2012.09.18
亀田郷物語⑤ 亀田郷 大収穫期 刈入れ進むコシヒカリ
亀田郷物語⑤ 亀田郷 大収穫期
刈入れ進むコシヒカリ



今、亀田郷のいたるところでコシヒカリの収穫が盛んです。
昔の亀田郷では、腰まで水に浸かって稲刈りが行われたところも
ありましたが、今では、完全に乾田化され大型のコンバインが
活躍しています。
今年は特に災害もなく、順調に成長した結果、例年以上の
豊作です。
刈入れ進むコシヒカリ



今、亀田郷のいたるところでコシヒカリの収穫が盛んです。
昔の亀田郷では、腰まで水に浸かって稲刈りが行われたところも
ありましたが、今では、完全に乾田化され大型のコンバインが
活躍しています。
今年は特に災害もなく、順調に成長した結果、例年以上の
豊作です。
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