名言至言⑦ 『去年今年貫く棒の如きもの』
             (こぞことし つらぬくぼうのごときもの)
                ・・・高浜 虚子(たかはま きょし)


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      Wikipediaより引用


 また高浜虚子の句になってしまいました。
 この句は、俳句としてきわめて有名です。
 毎年 年末年始になると必ずどこかで掲出(けいしゅつ)されます。
 私は、俳句としてではなく「名言至言」としてここに採りました。
 従って、季語がどうのこうのということはしません。
 毎年 新年に入れ替わる時に、まるで新しいページをめくるがごとく、新年に対して おめでとう と言い、旧年に対して お世話になりました と言います。
 このような「慣例」にケチをつけるような言い方になってしまいますが、私は少なからぬ違和感を持っていました。
 新年になった(年が改まった)からといって、皆 新しいページをめくって、古いページとは決別できたようなことを言いますが、昨年の借金の額が変わったわけでも、昨年の汚名が雪(そそぐ:除き払うこと)がれたわけでもありません。
 また、昨年までの栄誉が失墜したわけでもありません。
 すべては継続しているのです。
 ページをめくるようなものではなく、太い生きた棒心に貫かれているようにつながっているのです。

    理事長ブログ
    京都の北山杉です。年々すくすくとまっすぐに幹が伸びているみごとな杉林です。

 私流に言えば、長く伸びていくまっすぐな、例えば杉の木の幹のように、そのまま太く長く成長していくものなのです。
 心棒が真ん中に通っていて、その芯が成長していくがごときものなのです。
 年末、年初に当ってもこのように気を引き締め、常に過去に責任を持ちつつ、常に将来に希望を馳せることが、この句(フレーズ)の真意だとして、「名言至言」として、ここに紹介します。


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名言至言⑥ 凧 凧 凧  良い子 悪い子 なかりけり
・・・吉川 英治


    20121221理事長ブログ

 昔、私たちの少年時代は正月になると凧揚げをしたりして遊びました。
 唱歌にもありますよね。
   ♪ もういくつ寝るとお正月 お正月には凧あげて
     こまを回してあそびましょ・・・ ♪
 正月の寒空に凧がいくつもいくつも揚がっていた光景を私などは今も思い出します。
 凧がいったん空に揚がってしまうと、凧にも「人格」が生じて 遠くから誰が見たとしても、どれがどの子の凧などわからなくなります。
 それこそ「良い子、悪い子なかりけり」です。
 吉川英治は今月の10日のこのブログで書いた人です。
  ※ 12月10日付理事長ブログ 『我以外みなわが師なり』・・・吉川英治
 その文学や人となりはそこで書いていますので、再度は書きませんが、吉川英治ほどの大家がこの句のように色紙に書くと、彼の人格も思い入れられて、とても味わいのあるものになります。
 剣の名人は、太刀のひと振りでわかるし、絵画の名人は線一本で、あるいは色一色でわかるといいます。
 この句も吉川英治が好んで色紙に書いたそうです。
 何十年も経った今でも、私が覚えていることは、私にとって印象と感銘の残る句です。





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名言至言⑤ 「巧言令色 鮮なし 仁」
               (こうげんれいしょく すくなし じん)
                                      ・・・孔 子  

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『孔子』 Wikipediaより引用


 今回は論語の私の好きなフレーズからとりました。
 ただ、論語や孔子について説明を始めると長くなってしまいますので、ここでは言葉の意味するものだけにしておきます。
 一応、時代的なことを言うと、孔子は紀元前500年位の人ですから、今から2500年前の人が、その当時に言った言葉で、その言葉が今に伝わっているということは、この言葉が当時にしても「名言至言」であったということだと思います。
 そしてこの言葉は、現代にも通ずる言葉だと私は考えますから、あえてこのブログで書くということです。
 「巧言(こうげん)」というのは、「言葉巧み(に言い寄って・・・)」というような使い方を今もしますが、まさにその意味です。
 「令色(れいしょく)」というのは、論語の中にある言葉で、今風に言えば「媚びるような表情」をするとこです。
 一応、広辞苑に当ると「他人に気に入るように顔色を良くし飾ること」とあります。
 「鮮なし(すくなし)」は良く使う「少し」よりも、もっと少なくて「はなはだ少ない」「ほとんど無い」というものです。
 「仁(じん)」は、孔子独特の世界にある言葉と理解するのが正しいかと思いますが、これも一応 広辞苑に当ってみますと、まず次のように出ています。
 「孔子が提唱した道徳観念。礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり・・・」と出ています。
 私流に言うと「人としてあるべき自然な愛情にもとづいたまごころ」とでも言えばよいでしょうか。
 もっと現代語的に言えば、広辞苑では「愛情を他に及ぼすこと。慈しみ。思いやり。博愛。慈愛。」と羅列しています。
 このように書けば、現代人としても「巧言令色 鮮なし仁」のだいたいの意味がわかったと思います。
 私が言わんとすることは、2500年前の「名言至言」が現代にもじゅうぶん通じ、さらに「警句(けいく)」としても生きているということです。
 「うまい話には裏がある」「言葉たくみにのせられて大損」など、また「高利につられて元銭までなくした」などなど、よくある話です。
もちろん その人物その人にも信用が置けないという意味でもあります。
 やっぱり2500年後の現代人にとっても「名言至言」ですね(笑)


  

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名言至言④ 『介護はプロの手で
     (家族は愛情をもって見守るだけ)』
         ・・・舛添 要一(ますぞえ よういち)


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  舛添要一さんは、2007年に厚生労働大臣になりました。
 やはり優れたオピニオンリーダーと言うべきでしょう。
 そのずっと以前の1998年に「母に襁褓(むつき:おしめのこと)をあてる時-介護闘いの日々」という自分の介護体験から発した本を出しています。
 当時はまだ介護保険が施行される以前のことでした。(介護保険は2000年からです)
 舛添さんは、九州の福岡出身でここに母親がおられて介護を必要としていたということです。
 毎週のように福岡まで行き、介護をしていたということです。
 その時の苦労や家族間の葛藤の体験から、介護はプロの手に任せて、家族は愛情をもって見守りに徹するべきだという結論に至ったということでしょう。
 介護保険に先駆けて、このような意見を持って本を出版するというのは、やはり世相を見通した慧眼(けいがん:物事の本質を見抜く、鋭い眼力)の持ち主というべきでしょう。
 現に介護保険が施行された当時は、まだいじましくも家族で介護を行うことが愛情の表れという時代で、世間も自分の親の介護をプロの介護事業者に任せた(それどころか、一部を手伝ってもらっても)などと言ったら、批判の的にされるような時代でした。
 このことについては、以前の(5月10日)私のブログ『あなたは誰から介護を受けたいですか』に書いてありますから、ご参考にしていただければありがたいです。
 今日では当たり前とも言われることを世間に先駆けて、堂々と自分の信念を発表したことは、その主張が現今の常識となっていることを考えあげれば正に名言至言であると思います。

【参考】5月10日付 理事長ブログ 『あなたは誰から介護を受けたいですか』


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名言至言③ 『男の顔は履歴書である』
        (では女の顔は「請求書」?)
          ・・・ 大宅 壮一(おおや そういち)


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  若い頃の自分の顔の出来、不出来は親のせいにできるのかもしれません。
 昔の失恋の歌詞にこんなのがありました。
 ♪ 父ちゃん母ちゃん恨むじゃないが、もう少し器量よく生まれたらこんなことにはなるまいに・・・♪
 でも、いつまでも親のせいにはしておけません。そこで「40(才)過ぎたら自分の顔に責任をもて」と言われます。
 大宅壮一は昭和40年代頃、社会評論家として大活躍していました。時として辛辣(しんらつ:物の言い方・批評が手きびしくて、相手に強い・刺激を与える様子)な毒舌家でもありました。
 いくつかの「名言」を残しています。
 そのうちのひとつが「男の顔は履歴書である」というものです。
 この時代はまだ、男社会でした。すべての男は処世の術(すべ)として、さまざまな艱難(かんなん)、辛苦(しんく)を乗り越えていかなければなりません。
 虚実(きょじつ)、清濁(せいだく)の混交する世間にあって、妻子を養っていかなければなりません。
 自分が経験した、あらゆる喜怒哀楽、苦渋悔恨が顔に刻みこまれます。
 そこを大宅壮一は遠慮なく切り込んで、鮮明な切り口を見せています。
 「男の顔は履歴書である」と断じられてしまうと、つい自分の顔をしみじみと見てしまう男たちは多いでしょう。
 私も「いい年」になった頃、たまたま行く飲み屋さんで、ガラスに写った自分の顔をつい覗き込んで、しみじみと眺めたりしたものでした(笑)
 その後、誰かが(藤本義一だとか、吉行淳之介だとかと言われていますが)じゃあ、女の顔は「請求書」だと言ったということです。
 当時は、日本の経済が繁栄期にありましたから、好景気の最中でした。一方この頃から女性の社会進出が始まって、女性の顔がみな出番を待っているかのように見えました。
 私はこれも名言至言だと思いました(笑)
 大宅壮一が亡くなると、その功績を記念して「大宅壮一ノンフィクション賞」が創設され、以後ノンフィクション作家の登竜門となりました。



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