名言至言⑦
  『去年今年貫く棒の如きもの』

    (ごぞことし つらぬくぼうのごときもの)
       ・・・高浜虚子(たかはま きょし)   


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       Wikipediaより引用


 私が年末になると必ずこの句を思いおこし、年末から新年に向かう心構えとしていますので、異例のことですが今年もまた、年末の最後のブログとしてこの句を出させてもらいます。
  この句は、俳句としてきわめて有名です。
 毎年 年末年始になると必ずどこかで掲出(けいしゅつ)されます。
 私は、俳句としてではなく「名言至言」としてここに採りました。
 従って、季語がどうのこうのということはしません。
 毎年 新年に入れ替わる時に、まるで新しいページをめくるがごとく、新年に対して おめでとう と言い、旧年に対して お世話になりました と言います。
 このような「慣例」にケチをつけるような言い方になってしまいますが、私は少なからぬ違和感を持っていました。
 新年になった(年が改まった)からといって、皆 新しいページをめくって、古いページとは決別できたようなことを言いますが、昨年の借金の額が変わったわけでも、昨年の汚名が雪(そそぐ:除き払うこと)がれたわけでもありません。
 また、昨年までの栄誉が失墜したわけでもありません。
 すべては継続しているのです。
 ページをめくるようなものではなく、太い生きた棒心に貫かれているようにつながっているのです。

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   京都の北山杉です。年々すくすくとまっすぐに幹が伸びているみごとな杉林です。

 私流に言えば、長く伸びていくまっすぐな、例えば杉の木の幹のように、そのまま太く長く成長していくものなのです。
 心棒が真ん中に通っていて、その芯が成長していくがごときものなのです。
 年末、年初に当ってもこのように気を引き締め、常に過去に責任を持ちつつ、常に将来に希望を馳せることが、この句(フレーズ)の真意だとして、「名言至言」として、ここに紹介します。






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名言至言⑨
   毎年よ彼岸の入に寒いのは


                          正岡 子規(まさおか しき)


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     Wikipediaより引用


 この句は、子規の母が子規と会話をしていて言った言葉が「おのずから句となった」と子規は言っています。
 「毎年よ」の「よ」には、子規の生まれた愛媛県松山では、このような場合、特別のアクセントがあって、「毎年のことよ」「毎年あるのは」と意味があるのだと言われます。
 子規は明治の人で俳人、歌人としてきわめて高名で、有名な門弟も数多くいました。
 「写生」を主唱し、俳句、短歌に優れた作品を残し、その後の日本文学に大きな影響を与えました。
 しかし、二十代の若さより、肺結核などを病み、死ぬまで闘病生活を送りました。
 「彼岸(ひがん)」というのは、辞書などには【春分の日、秋分の日を中日(ちゅうにち)とし、その前後各三日を加えた七日間。最初の日を「入り」、最後の日を「明け」という。】とあります。
 今年の彼岸の中日(春分の日)は、明日20日です。
 確かに今年もその2~3日前くらいには、日本中、寒い日がありました。
 私は、毎年この時期になると決まって、この子規の句を思い出し、口ずさんでいます。
 私にとっては、まさに名言至言です(笑)


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     Wikipediaより引用 松山市 『道後温泉本館』 別名・愛称:坊っちゃん湯



 

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名言至言⑧
   白鳥は かなしからずや 空の青 
           海のあをにも 染まずただよふ


                                                若山 牧水

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       Wikipediaより引用

 若山牧水は旅情、詩情のあふれる明治の歌人ですから、この歌(うた)も「短歌観賞」として扱えばよいのかも知れませんが、私は「名言至言」として説明してみます。
 一首の意味ですが、「白鳥」は、「しらとり」でカモメでも白鳥でも構わないと思います。
 「かなし」は、現代語として言えば、(切ないほど)をつけて、「切ないほど悲しい」というくらいの意味です。
 あえて「名言至言」として強調することは、語句のひとつひとつではなくて、周囲の「空の青」「海のあを」にも取り込まれることなく、くっきりとその身を独立させた「孤高」の姿なのです。
 他人と違うことを主張したり、他人に指弾されたとしても、不合理ではないとする自らの信念を保つことは大切なことです。
 「ただよふ」ということは、自信なくうろつくことではなくて、自由自在に風の中を 波の上を行く様(さま)を言います。
 「かなしからずや」は「孤高」「独立」を貫く「苦難」「苦行」に対して、切なくも不倒不屈の感情に耐えられるのか、いや耐えているのだということです。
 私は、最近この牧水の歌がよく頭に浮かびます。



    
      (c) .foto project




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名言至言⑦ 『去年今年貫く棒の如きもの』
               (こぞことし つらぬくぼうのごときもの)
                      ・・・高浜 虚子(たかはま きょし)


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      Wikipediaより引用


 また高浜虚子の句になってしまいました。
 この句は、俳句としてきわめて有名です。
 毎年 年末年始になると必ずどこかで掲出(けいしゅつ)されます。
 私は、俳句としてではなく「名言至言」としてここに採りました。
 従って、季語がどうのこうのということはしません。
 毎年 新年に入れ替わる時に、まるで新しいページをめくるがごとく、新年に対して おめでとう と言い、旧年に対して お世話になりました と言います。
 このような「慣例」にケチをつけるような言い方になってしまいますが、私は少なからぬ違和感を持っていました。
 新年になった(年が改まった)からといって、皆 新しいページをめくって、古いページとは決別できたようなことを言いますが、昨年の借金の額が変わったわけでも、昨年の汚名が雪(そそぐ:除き払うこと)がれたわけでもありません。
 また、昨年までの栄誉が失墜したわけでもありません。
 すべては継続しているのです。
 ページをめくるようなものではなく、太い生きた棒心に貫かれているようにつながっているのです。

    理事長ブログ
    京都の北山杉です。年々すくすくとまっすぐに幹が伸びているみごとな杉林です。

 私流に言えば、長く伸びていくまっすぐな、例えば杉の木の幹のように、そのまま太く長く成長していくものなのです。
 心棒が真ん中に通っていて、その芯が成長していくがごときものなのです。
 年末、年初に当ってもこのように気を引き締め、常に過去に責任を持ちつつ、常に将来に希望を馳せることが、この句(フレーズ)の真意だとして、「名言至言」として、ここに紹介します。


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名言至言⑥ 凧 凧 凧  良い子 悪い子 なかりけり
・・・吉川 英治


    20121221理事長ブログ

 昔、私たちの少年時代は正月になると凧揚げをしたりして遊びました。
 唱歌にもありますよね。
   ♪ もういくつ寝るとお正月 お正月には凧あげて
     こまを回してあそびましょ・・・ ♪
 正月の寒空に凧がいくつもいくつも揚がっていた光景を私などは今も思い出します。
 凧がいったん空に揚がってしまうと、凧にも「人格」が生じて 遠くから誰が見たとしても、どれがどの子の凧などわからなくなります。
 それこそ「良い子、悪い子なかりけり」です。
 吉川英治は今月の10日のこのブログで書いた人です。
  ※ 12月10日付理事長ブログ 『我以外みなわが師なり』・・・吉川英治
 その文学や人となりはそこで書いていますので、再度は書きませんが、吉川英治ほどの大家がこの句のように色紙に書くと、彼の人格も思い入れられて、とても味わいのあるものになります。
 剣の名人は、太刀のひと振りでわかるし、絵画の名人は線一本で、あるいは色一色でわかるといいます。
 この句も吉川英治が好んで色紙に書いたそうです。
 何十年も経った今でも、私が覚えていることは、私にとって印象と感銘の残る句です。





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