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昼食だけの蕎麦(そば)ダイエット成功?
                   (私の場合)
 


 先日の新聞で、日本人は過度のダイエットをしているという記事が

出ていました。

 確かに私の周りにも十分均整のとれた体格なのに、本人は「太って

いる」と自分で思い込んで、あれこれして痩せようとしている女性は多

いようです。

 でも、私の場合は正真正銘太り過ぎていたようでした。

 誰がどのような医学的合理性で決めたのか知りませんが、毎年受

けている人間ドックの所見などに私の場合は、いつも「肥満度:36%」

などと出ていました。

 この頃の私の身長は174cm。体重は89kgでしたから、身長、体重

の比率から所定に計算するとそうなったのかもしれません。

 私にしたら、酒はうまいし、食事もうまい、スポーツだって週2~3回く

らいテニスをやって、さんざん動いて(下手だから無駄な動きがたくさ

ん)いつも汗びっしょり、終わった後はそれが爽快で「また一杯」という

ほどでしたから、私としてはそれほど気にはしていませんでした。

 でも、ある時から、医師の言うことは一定の理解のもとに、自分の生

活を改めるべきだと思う気持ちが起こりました。

 まったく、思いつくままに、これからお昼は常に蕎麦(そば)にしよう

と思いました。

 お昼を蕎麦にするくらいなら、さほど「努力」はいらないと思ったから

です。

 難しいハードルを課せると、続けることは面倒になって、結局止めて

しまいます。

 ところで、私の場合、昼食の蕎麦は蕎麦屋さんには行かず、コンビ

ニ専門です。

 蕎麦屋さんい行くと、立派な店構えで、上品なメニュー、かわいらし

い店員さんなどが出てきて、安い「素蕎麦」を注文するとお店を儲け

させずに申し訳ないという気が先にたって、つい天ぷらや、そのほか

の「飾り」のついた高い蕎麦にしてしまい、カロリーが高くなって、ダ

イエットにはならないと思うからです。

 そこで、コンビニで素蕎麦と、せいぜいパック野菜などをつけて買い

ます。

 蕎麦が270円、野菜は180円くらいです。

 価格が安いと、いかにも「粗食」という感じで満足です。

 蕎麦ダイエットの成果は6ケ月、10カ月ですぐ表れました。

 まず、8~9kg体重が減りました。

 誰か人に久しぶりに会うと必ず、「やせましたね」とか、「スマートに

なりましたね」とか言われます。

 私は病気で痩せたとは思われたくないので、「蕎麦ダイエットのせい

です」と言ったり、「今度私も蕎麦ダイエットという本を書いて売ります」

などと冗談を返したりします。

 事務所でコンビニ蕎麦を毎日食べていると、事務員の女性職員たち

が言います。 「理事長(社長)はお蕎麦がお好きなんですね~」

 私はすぐ、「ちがうの!ダイエットのため!蕎麦なんか好きじゃあな

いの!」と言います。

 ところで、私が「太りすぎ」と言われるくらい体重が増えたのは25歳

過ぎくらいからです。

 これには、それなりに科学的な理由がありますが、その説明はまた

機会があった時にします。

 事実!昔、若い頃、私はとてもスマートで「好青年」でした(笑)

 ちなみに私は当時174cm、72kgでした。

 そうです、私はなんとあの20代の頃の「中井貴一」にそっくりだった

のです!

 こういうと必ず、その場にいる、特に女性たちは、「うっそー!信じら

れなーい。じゃ、写真見せて~!」と言います。

 でも、私はいつも写真を探すことを忘れてしまって、まだ誰にも見せ

ていません。

 でも、でも、でも、みなさん、「信じて~ぇ!」(笑)



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むかしよりなる人の世かなし・・・(世界のくらし) 


 昨日のブログで、川の畔(ほと)りで育った私が子供ながらに一人前

に舟を漕(こ)ぐ技に習熟していたことを書いていたところで、そこでは、

舟の片側に力点を加え、舟の方向を一方に曲げることなく真っすぐに

漕ぐことは、ボートを片方のオール一本で漕いで、真っすぐに進めるこ

とくらい難しいものだ、と例えましたが、その時、以前テレビで見た

『インダー族』のことが思い出されました。

   ウィキペディアより : インダー族   

この部族の人たちは、水上に草を固めた「陸地」を浮かせて作って、

そこに家のようなものを建てて暮らしています。

 舟を漕いで荷物を運んだり、舟を漕ぎながら水面下に魚網を仕掛け

たり、それを上げたりして魚を取っています。

 その時、舟を漕ぐのは、一本の足しか使いません。

 すなわち、片方の足で舟に立ち、もう片方の足をオールか櫓(ろ)の

ような棒状のものに巻きつけるようにして、巧みに足を動かして舟の

動きを操(あやつ)ります。

 まるで、舟と水と仕事と人間が、一体になったように働いています。

 それのみをもって生計を立てているように見えます。

 このような暮らしの中にこの人たちは生きているのでしょう。

 だとしたら、赤ん坊だって水に浮くし、子供だってラッコのように水に

潜っているのではないでしょうか。

 もちろん、大げさな言い方ですが、私が言いたいことは、生計のため

に習熟した技術を「昔 操(と)った杵柄(きねづか)」と位置付けたりし

ているのは、「日本の文化」であり、「杵柄」をあやつって暮しを立てて

いるということは、それがまさに「生計」であり、「生きる為の労働」であ

るということです。

 以上のことを考えて『インダー族』の暮しぶりを見た時、私は、なんと

なく「重い気持」になりました。

 なんと言ったら良いのでしょう。(うまい説明になっていないかもしれ

ません)

 それでふと思い出した短歌があります。

 それは前登志夫(まえ としお)という歌人のこの一首です。

    菊を刈り 火にくべておれば 涙いづ
              むかしよりなる人の世かなし
 

 遠い昔からの人の世の暮しは、生きるための労働から発していま

す。

 人の世の歴史を辿って、今の自分に行きつく時、自分もその歴史の

構成員だと気付きます。

 それを文化だと昇華(しょうか)させたところで、たぐり寄せてみれ

ば、やはり、「人の世のかなしみ」の集結だという思いに至るのです。

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 今日は、ちょっと私が他人に自分の思いを語るには難しかったよう

です。

 少し、ごめんなさい。



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昔 操(と)った杵柄(きねづか) (その2)


 さて、昨日も予告しましたが、私にも「昔 操った杵柄」というものが

あります。

 それを今日はお話ししてみます。

 それは、川舟を上手に漕ぐことです。

 4/12付けブログの「江風苑」の紹介で少し述べましたが、私は阿賀

野川下流の畔(ほと)りで育ちました。

 その頃はエンジンをつけた舟などありませんでしたから、舟は櫓(ろ)

や竿(さお)を使って手で漕(こ)ぎます。

 櫓(ろ)も竿(さお)も舟の片側に立って、片側だけで漕いだり、挿(さ)

したりします。

 このように舟の片側だけに力点を作用させると、普通は、舟は真っ

すぐ前には進みません。

 例えば、ボートに乗って、片側1本のオールで、真っすぐに前進させ

ることはなかなかできないものでしょう。(たいていは曲がって円を描く

ように進みますよね)

 普通、川舟では、このようなことは常識です。

 しかし、ベテランはちゃんと櫓(ろ)でも、竿(さお)でも、難なく真っす

ぐ前に進行させることができます。

 私は小学生の子供のころ、もうこの技術を習得していました。

 「川の子」だったのですね。

 今では、舟は櫓(ろ)や竿(さお)で漕ぐことはなくなりました。

 エンジン付きのスクリューで舟は「ぶっ飛び」ます。

 ですから、この舟を漕ぐ技術は、今となっては私の「昔 操った杵柄」

と言えるでしょう。

 ところで余談ですが、「舟を漕ぐ」を辞書(広辞苑)で引くと、「居眠り

をすること」とあるのですが、なぜだか知っていますか?

 これは櫓(ろ)を漕ぐとき、ベテランは櫓(ろ)を腕だけの手先で漕が

ずに、櫓(ろ)の「コギ手(刀なら柄の部分)」を胸に抱くようにして、体

の重さを利用して漕ぐのです。(楽に力が入りますから)

 この時、離れて見ていると、体と一緒に頭がこっくり、こっくりするよう

に前後に揺れて見えます。

 居眠りをすると、つい、こっくり、こっくりと頭が前後しますから、これ

を転じて、「舟を漕ぐ」と表現しているわけです。

 このようにこの言葉を私のように詳しく、説明している辞書はないの

ではないでしょうか。

 なにしろ、辞書の代表のように言われる広辞苑にもここまでは書い

てありませんから。(笑)



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昔 操(と)った杵柄(きねづか) (その1) 


 昔 操(と)った杵柄(きねづか)とは、「過去に鍛えた腕前」「昔、修練

した技術」という意味です(広辞苑)。

 もう少し、部分的なところからいうと、操(と)るとは、物などを「取る」

ではなく、道具や器具などを使う、操(あやつ)る、さばくという時に使

います。

 また、杵柄(きねづか)とは、道具、器具の代表的な例えとして言っ

ています。

「杵(きね)」は餅(もち)をつく時などに使います。

 今でも餅屋さんが「杵つき餅」などと言いますが、機械ではなく、手で

ついたことを強調しているわけです。

 「柄(つか)」は、道具で手に持つ部分を言います。

 例えば「刀の柄」などと言いますね。

 杵も柄も、いずれも手で操作する器具です。

 ところで、私たちのところのご入居者様、ご利用者様の中には、若い

頃に鍛えた腕前を、誇らしくお持ちの方々がいらっしゃることと思いま

す。

 例えば、身近なところでは、笹団子や粽(ちまき)を作る腕前です。

 新潟では、昔は、笹団子や粽(ちまき)などは、どこの家でも5月の節

句や、下越の「蒲原まつり」(7月1日から3日間、6月30日は宵宮(よみ

や)です)などになると、とってもたくさん作ったものです。

 お菓子などあまりなかった時代ですから、家族もたくさん食べまし

た。

 作るのも楽しみ、食べるのも楽しみでした。

 今の若い人たちは、もはや笹団子も、粽(ちまき)も、とても作れない

でしょうね。

 昔は粽(ちまき)の作り方など、子供心によく習ったものでした。

 当時としても、技術のいるものでした。

 私の年代の人などでも、もう忘れてしまって、きっともう、作ることな

どはできなくなってしまっているでしょう。

 「絶滅技術」ですね。(笑)

 ところが、色々な記憶などを忘れてしまっている認知症のお年寄りな

どに、昔盛んに作ったりしていた、笹団子や粽(ちまき)を作ってもらう

と、記憶よりも手が覚えているのでしょうか、それはそれは上手に作っ

てくれるそうです。(まさに昔習熟した作業、昔 操った杵柄ですね。)

 なによりも、その表情や動作が生き生きしてくるそうです。

 私は、この季節に思うのですが、来年には準備をしておいて、「でき

る」お年寄りから、思う存分腕を振るってもらって(作ってもらって)、た

くさんできたものを各施設の、ご入居者さまやご利用者様に配って、

食べてもらったらどうか、と思います。

 さぞかし、作って下さったお年寄りには満足感が、それをもらって食

べたお年寄りには、珍しいものをいただいたという喜びが沸いて、皆

さんに好評を博(はく)すのではないでしょうか。

 ※明日は私の「昔操った杵柄」をご紹介いたしましょう。



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のら猫パトロール隊 


 私の家の近くに、のら猫が数匹住み着いているようです。

 私の屋敷の中に侵入していたりします。

 私と目が合ったりすると、じっと私の方を見て、私の態度を見ている

ような眼差しをすることがあります。

 それは、私に近寄ってもよいのか、近寄ったら叱られるのか、という

眼差しのようです。

 のら猫は、一度エサをやったら住み着いてしまう、と聞いたことがあ

るので、私は猫の眼差しに気がついても、知らんぷりをして家に入

ってしまいます。

 私は3~4匹は知っています。

 太ったボス的な黒っぽいヤツ、赤毛の中くらいなヤツ、若いメス猫な

のか、かわいい顔つきで動きも愛らしいヤツ。(でもこれは、どこかの

家で飼われていて、単に私の庭で、そこにいるのら猫に会いに来てい

るのかもしれません。)

 でも、私の家の周りに居つかないように、あまり、馴れ馴れしく、のっ

そりしていると、「コラッ」と不法侵入を咎めるような顔をすると、そそく

さと退散するようにして移動します。

 夜は家の周りを回っているようです。

 というのは、私の家の周りには玄関口などに防犯用の人感感知で、

人が近づいたりするとライトが点くような設備がありますが、それがよ

く、夜にパッとライトが点くことがあります。

 カーテンのすき間から、外のライトの方を見ると、1匹、2匹、3匹とそ

の日によって数は違いますが、昼間の猫たちがのっそり、のっそり ま

るで家の周りを巡回するように歩いています。

 ある時、気が付いたのですが、猫が近づくと感知されてパッとライト

が点きますが、この時猫は、いきなりパッと点いたライトに一切動じる

風がないことです。

 人間だって、いきなりパッとライトが点いて自分が照らされたりした

ら、思わずライトの方を見ると思うのですが、猫はいきなりライトを照

射されたことなど眼中にないように、まったく同じ足取りで、下を向い

たまま、歩行を続けます。

 いつか、テレビで見た事がありますが、山の中で野生の動物の通り

道にカメラとライトを仕掛けておいて、奥山の夜行性の野生動物を撮

った写真が出ていましたが、動物はライトが点いてもなんら動じる風も

なく、同じ足取りで歩を続けていました。

 もちろん、何回目かで慣れているのかも知れませんが、「人間」を意

識して警戒している素振りは感じられません。

 私は初めてこれを見た時、少し奇異に感じたものでした。

 でも実際、その「生態」が私の家でも見られたのです。

 私の家の屋敷内にのら猫が居つくこともなく、通過点として出没して

いることによって、良いこともあります。

 それは、ネズミやヘビが一切姿を見せなくなったことです。

 夜も時々、パッとライトが点いたりして、案外、防犯の役にたってい

るのかも知れません。

 私は、猫たちのパトロールは許すことにしています。



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ブログ 発信すれば返信あり、また再発信・・・
                  (礼は往来を尊ぶ)
 


 私がこのブログを書き始めてから、約2ケ月が経過しました。

 途中から、土日を休むことにしましたが、幸いそのほかの日はほぼ

続けてこられたようです。

 関係した方々に感謝いたします。

 さて、ブログでこちらから発信していると、相手側(読者)から返信

(返応)があります。

 それは、人と出会った時、「読んでますよ」だったり、電話での問合

せだったりします。

 昨日はついにメールでコメントをいただきました。

 「一職員」として、まだ名前は伏せてありますが、その内容は「数人

で集って理事長とお話しをしたいんですが、来て下さいますか?」とい

うものです。

 もちろん、私は「いいですよ。日時をご連絡くださいね」と返信しまし

た。

 このように、このブログを通じて職員の人たち、ご入居者、また外部

の方々と交流する機会が始まったり、それが増えるとなれば、私とし

ては大変うれしいことです。

 人と人との交流は、双方からの呼びかけがあって始まるし、また続く

ものです。

 この「人情の機微」は、「古来」からのものです。

 「古来」というのは、中国の3000年くらい前からの故事などを集めた

古典「礼記(らいき)」には「礼は往来を尊ぶ」とあります。

 これを私流に解釈すると次のようになります。

 お互いを認め合った者同士の交際は、お互いが行き来することによ

って始まり、深まるものだ、ということになります。

 このような「情智」に通じるものは、すでに「人間関係」が生じた太古

の昔からあったものなのです。

 ちなみに3000年前というと、中国では国家は4500年くらい前から成

立していましたから、周の末くらいですが、日本ではまだ国家の原形

さえできていません。

 日本では、2000年くらい前に「クニ」が興って、古墳を作るほどの「大

王国」は4世紀、5世紀のこととなります。

 大化の改新以後を国家というなら、なんと7世紀のことです。

 このように考えると、なんという中国の歴史の奥深さでしょう。

 今、デジタル時代のブログの世の中にあっても、人間同士の「人情」

の繋がりは、太古の時代の人間関係となんら変わることはないと言

えます。



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「新着情報」が楽しみ 常陽会ホームページ 


 私は、毎日ブログを書いていますが、その時、各施設、事業所から

発信されている「新着情報」を見るのが楽しみです。

 私は、なかなか各施設、各事業所などに時間の都合で訪問できま

せん。

 「新着情報」を見ると各施設の情報や、私が知っている職員のみな

さんの顔、顔、顔が思い浮かびます。

 どの「新着情報」もみんな弾むような楽しさが感じられて躍動感があ

りますね。

 できれば、もっと大きな画面でできないのかと思い、ソフト作成業者

に問い合わせています。

 それから、私が気付いたことは、掲載写真にはもっと人物や顔の表

情が入った方が良いと思いました。

 以前、私はブログの中で「人は人によって癒される」、「人を癒してく

れるのは結局は人なんだ」と書きましたが、やはり写真で伝えられる

インパクトの大きいものは人の顔、表情だと思います。

できるだけ、お客様や職員の笑顔が大きい写真が見たいものです。

 「新着情報」は、常陽会の全体像を把握する意味でも、職員のみな

さんやご利用者のみなさん、それに外部からアクセスしてくる方々に

とっても、とても有用なものだと思います。

 たくさんの施設、事業所から「新着情報」を載せて欲しいと思いま

す。



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北海道から嫁いできた花嫁 


 私は、以前はよく北海道に行っていました。

 会議や旅行などが毎年のようにありました。

 その折、すずらんの苗を買ってきたことがありました。

 庭の片隅に植えておきましたが、「気持ち的」にはすっかり忘れてい

ました。

 昨年あたりから急に注目して見るようになりました。

 いつの間にか、20株くらいに増えて、小さく群がるようにして生えて

います。

 今朝も立ち止まって見ると、濃い緑色の「単葉」に、まるで両手に優

しく包まれるようにして白い可憐な、その名のとおり鈴のような花が

咲いています。

 忙しくしている毎日の中で、北海道のことなど思いだすこともなかっ

たのに、清らかな葉を、五月のさわやかな朝の風が渡るところを見る

と、しみじみと懐かしく、北海道のさまざまな情趣が思い起こされま

す。

 春も 夏も 秋も 冬も、北海道に行っていたんだなぁ、とその時の風

景や行動が思い出されます。

 厚く濃い緑の葉の、自然の模様が美しく見えて、そこに大切にしま

われているように、少しうつむいているのかなぁ、と思われつつも、凛

として咲く純白な花は、まさしく高貴な艶を持った「蘭」です。

 思わず、「乙女」の気高さを感じます。

 こんな庭にもったいないとも思います。

 過分にも、北海道からいただいた花嫁に目見えている気持ちになり

ました。



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アオーレ長岡の「アオーレ」って? 


 昨日、「アオーレ長岡」に行ってきました。

 会議があって、それに出席するためです。

 新潟のトキメッセみたいなところで、立派な会場でした。

 長岡駅構内新幹線乗り場から「大手口」の方に繋がっていますの

で、簡単に行けました。

 ところで「アオーレ」ですが、この名称の意味がわからずに、なかな

か覚えられない人は多いと思います。

 これは、イタリア語でもスペイン語でもありません。

 実は日本語であり、長岡あたりでは良く使う「方言」なのです。

 「また 会おーれ」、「今度 会おーれ」の会おーれ(会いましょう)のこ

とだというのです。

 新潟の人だって、コレ言いますよね。

 だから、もう「アオーレ長岡」の名称は忘れないでしょうね。

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 ※前回(18日)のブログで、書き足りないところがあったので補足し
  ます。

 天智天皇の娘である鵜野皇女は、天武天皇(当時は大海人皇子

【おおあまのおうじ】)の妻となり、天武天皇即位後、皇后になりまし

た。

 天武亡きあとに皇位を継いで、「女帝」持統天皇となりました。(な

お、天皇の名は諡号【しごう:おくり名】として、死後につけられます)

 以上、書き加えます。



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古代史は現代におよぶ -NHKニュース 


 昨日、今日のNHKニュースに、天武・持統天皇陵のことが報じられ

ていました。

 古代史に興味のある人たちは耳をそばだてて聞いたことでしょう。

 天武・持統といえば、天智が浮かびます。(以下「天皇」を省略いた

します)

 この三人の天皇の関係は、天智・天武は兄弟とされます。

 持統は天智の娘(皇女)です。

 7世紀のことです。

 天智は自分の娘(皇女)たちの中から二人を天武の妃(妻)としてや

っています。

 すなわち、鵜野讃良(うののさらら)皇女(以下 鵜野皇女 と書きま

す)と大田(おおたの)皇女です。
 
 鵜野皇女は後に天武の皇后となり、天武の死後は「女帝」持統天皇

となりました。

 一人の男性のところに姉妹の関係で二人の女性が妻になることは、

よほどその男性を娘たちの親が「重要視して丁重」に扱っていたかと

いうことだそうです。(似たようなことは中国史にもあります)

 ともかく、それほどまでに、「兄」天智と、「弟」天武の関係が「ナーバ

ス(nervous)」なものかもと思われます。

 ゆくゆくに連れて鵜野皇女と大田皇女の姉妹も「ナーバス」な関係と

なります。

さらにその子供たちもです。

 天智と天武、鵜野と大田の4人の関係、そしてその子供たちは、結

果的に、古代史の中で特筆すべき「大戦争」「大事件」や「大悲劇」を

生みました。

 天武と持統は、勝利者として、一応はその皇統の基盤を築きます。 

(しかし、後年、天智系の巻き返しがあります)

 歴史的に評価すれば、持統はともかくも妻として天武に尽くし、その

「内助の功」をもって、天武とともに古代史の一時代を形成し、燦然と

輝くその後の「天武系」皇統の礎を築きました。

 今風にいえば、持統は天武の「糟糠の妻」であり、天武亡きあとは

「肝っ玉母さん」となりました。

 だからこそと「合葬」なのだと納得がいきます。(天武は第40代、持

統は第41代の天皇とされ、持統の死は天武の死の16年後とされま

す)

 持統が天武亡きあとその皇統を保持するため、皇后として、「女帝」

になったこともうなずけるし、女帝にならざるを得なかったことも、うな

ずけます。(これについては私などがどう書いても収まるものではあり

ません。興味のある人は本屋さんで「専門書」を買ってください)

 ところで、目を現代に転ずると、タレントに「神田うの」さんというステ

キな女性(私はファンでした)がいますが、彼女の名前の「うの」は実

はご両親がこの鵜野皇女から取ったものだということですよ。

皆さんご存じでしたか?

 私はどこかでその記事を読んだことがあります。

「古代」から「現代」まで連綿と続く、日本の「歴史」が感じられます

ね(笑)


 ※今後、土日はブログ 休みます。



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人の話を聞く(対話) -昨日の続き 


 昨日、書き足りなかったことは、以下のようなことです。

 私は今、理事長として、法人内において意見の交流の場としては週

一回の「施設長会議」しか持っていません。

そこでは必ずしも たくさんの事柄が、多面的に十分話し合われていな

いような気がします。

「幹部」で構成される「施設長会議」は、これはこれとして さらに充実さ

せていきますが、さらに一般職員とも意見交流を持って 物事の表裏、

内外、明暗を率直に話し合い、法人の運営をさらに開かれた明るいも

のにしていきたいと思います。

 そして、常陽会が地域の人たちから「当てにされる」集団でありた

い、と願っています。

 それには理事長の私がまず、法人のあらゆる部署の人とも等距離

で「会話」を持たなければならないと思います。

 それこそ、街で偶然に出会ったなら、そのまま居酒屋にも入ってしま

うような、気さくな「仲」です。

 今後は、月、週で 日や曜日を決めて、「会」を催すことも良いのでは

ないかと思っています。

 このような率直な意見交換会の開催については、理事長の私も考え

ますが、職員からも発案があって良いと思っています。

 みなさん、どうでしょうか?



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「表と裏」「内と外」「昼と夜」
     (ものの二面性について) 人の話を聞く
 


  昨夜、図らずも うちの職員と街で会って、居酒屋で2人で話をする

機会を得ました。

 おのずから、その人の職場のことや常陽会のことなどに話題は及

びました。

 当然、理事長(社長・上司)と職員(社員・部下)という構図はあり

ます。

 お酒はありがたいもので、幾分かは立場の差を縮めてくれます。

 そこで、私が大きく気が付いたことは、(福祉法人の?)理事長と

(ヒラ)職員との間隔は、一般の会社の社長と社員との間よりも、思っ

た以上に遠くにあるものだということでした。

 私もいきなり理事長や社長になったわけではなく、若くして社員と

して会社に入り、仕事をしながら同僚社員や、上司、社長と付き合っ

て、いわゆる「ほうれんそう」の関係を通して、それなりの「薫陶」を得

てきました。

 しかし、常陽会だけのことでしょうか、福祉法人という殻のせいで

しょうか、それとも時代の差でしょうか、私が思っていたよりも理事長

は職員から「疎遠」の立場に置かれているようです。

 あるいは、「措置」の時代の名残りのようなものが、まだあるので

しょうか。

 そうです、思い当たることが2、3ありました。

 それは、常陽会を興してしばらくして、職員が50人くらいに増えた頃

でしたが、ある時、理事長の私が知らないことがあった時に、一般の

職員に問い質したところ、その職員が言いよどみながらも話すところ

によると、上司から、「このことは理事長の耳に入れないように」と指

示されたというのです。

 これは私にとって「意外」でした。

 私が経験した民間の「会社時代」では、会社の運営上の業務の大

切なことを「社長の耳に入れないように」などと部下を「諭す」上司な

どいなかったし、いてはなりませんでした。

 良しも悪ししも社長、上司、部下が一体となって、対応して業績を上

げていました。

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 この時、私は当時の、多分に「措置の時代」を引きずっていた、「福

祉の世界」に違和感を持ちました。

 その頃のことは、法人設立期に書いた「鶏鳴」にも書いています。

-----------------------------------------------------

 ともかく、昨夜は一職員とお酒を間に置いたせいか、人事や物事の

「二面性」について、今更ながら教えられるところが多かったのです。

 ところで私は、毎週月曜日に「施設長会議」と称して、幹部クラスの

職員たちと、法人運営上の会議を開いて、様々な業務上の確認や打

合せなどを行い、理事長の私の意見も言い、また、上記幹部クラスの

職員の意見も聞いていますが、そこで取り決められた内容は、必ずし

も完全なものではないなと思いました。

 ここで取り決められる給料や処遇などの肝心なことが、民間の会社

よりも伝達力が低いのではないかと思いました。

 私は、常陽会は仕事面も、給料面も、社会貢献も、業界の先端に位

置してほしいと、そう願って仕事を進めているつもりです。

 しかし、「施設長会議」では討議された内容が完全には確かなもの

になっていないようです。

 以上のことから、今後はさらに組織の上下を問わず、大勢の人の意

見を聞いて、常陽会を何事にも活気ある組織にしたいと願っていま

す。

 どうぞ誰かれなく、このブログの「コメント」や施設内の「理事長直行

便」で意見を述べてほしいと思っています。

 今日は私の筆がふるわず、表題のことがうまく話しきれませんでし

た。

 明日、また続きをもう少しまとめて書いてみたいと思います。



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白鵬3連敗! 攻めきれない横綱
              果敢挺身の挑戦者
 


 白鵬は強い横綱です。

 なぜ強いかと言えば、ほとんどの相撲でどんな相手にも、先に白鵬

が自分の得意の型に、まわしを引いて組んでしまうところです。

 格下の力士が横綱に「横綱十分」のまわしを取られて、勝てる可能

性はまずありません。

 さらに「アドリブ」も良いです。

 だから、年間90戦のち、わずか4敗しかしない年が2年も続けてあ

りました。

 また、史上2位の63連勝というのもありました。

 最近は朝青龍なきあと、1人わが道を行く「ひとり旅」状態でした。

 昨日の豊ノ島とは、対戦成績が19対1と圧倒的に勝っている相手

でした。

 このような常勝できる相手を「お客様」と言います。

 今日は「お客様」の豊ノ島が相手だから、もう白鵬の本場所3連敗は

ないと、誰もが思っていたでしょう。

 ところが、負けました。

 19対1というのは1年6場所なら3年半も取り組みして1回しか負けて

いないということですから、負けるはずのない相手です。

 だから「お客様」なのです。

 新聞では白鵬は指を1本ケガしていたと言いますが、指なんか10本

もあるのですから、ここまで力が違えば、なんともないはずです。

 この勝負の敗因は、白鵬ほどの横綱であっても連敗のせいか、要所

で攻めきれずに、一方豊ノ島が終始息もつかない果敢挺身の相撲に

徹したからだと思います。

 私も昔は「相撲少年」であり、「野球少年」でした。

 小学校から中学校では、10分間の授業間の休み時間、昼休み時間

は、廊下や運動場で白いチョークで円く「土俵」を書いていつも相撲を

取っていました。

 野球などは暗くなるまで運動場や空き地でやっていました。

 「悪友」も「良友」もできました。

 「勝負感」もできたのかも知れません。

 そんな私が見ていると、豊ノ島の一途な闘魂が白鵬の気迫をそぎ、

自らの勝利を呼んだものと見ました。

 この勝負にすぐさま例えるものではありませんが、「身を捨ててこそ

浮かぶ瀬もあれ」と、身を無欲の内に落として活を求めることは、人

生のいくつかの場面であるように思います。



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所得税50%、消費税25% 介護は税金で 
                    -デンマーク
 


 デンマークなど北欧方面の国々は「介護」の先進国と位置付けら

れているようです。


 「業界」の先進地視察ツアーがよく案内されてきます。

 私も北欧・ドイツ・オーストラリア・ニュージーランドなどに勉強のた

めに行ってきました。

 デンマークでは、介護は国家(行政)が税金で運営しています。

 だから、「介護施設」などに入居するのは、日本で小学校、中学校

へ入るように誰でも必要になった時、平等に利用できるようです。

 個人からの「入居申し込み」などはなく、行政がその人の「様子」を

見ていて、必要に応じて入居させてくれるようです。(・・・のようです

と伝言風に書かざるを得ないのは、私が1~2回視察ツアーで聞い

たことが果たして本当に理解できた結果かどうか、確信がいかない

点があるからです)

 でも、デンマークの国では、普通のサラリーマンでも給料の50%は

「所得税」として徴収され、「消費税」は国民すべて25%だと言われま

すから、「介護」も日本の義務教育の小学校、中学校のように、その

恩恵を国家が保証している、と聞いて、なるほどと十分納得できる気

持ちになります。

 まさに、「ゆりかごから墓場まで」国家が国民のためにしてくれてい

るのです。

 消費税25%下の物価は確かに高いです。

 また、当時はユーロ高でもありましたから、タクシーに乗ると日本な

ら千円ちょっとかな、と思う距離が2千円くらいかかります。

 高くてびっくりしますが、「え~い、これも勉強のうち」とばかりに、さ

らに20%くらいチップを運転手さんにやります。

 すると運転手さんは急いで運転席から降りて、後部の私のドアを開

けてくれて、「サンキューベリーマッチ、サー」と言います。

 しょうがない、私は運転手さんに「サンキュー」とおおように応じて、

車外に降り立ちます。(一定の金額以上の買い物を、外国人の私た

ちがすると「消費税」は、帰国時に返金されますが、小さな買い物は

そのまま払ってしまいます)

 私がツアーのバスの運転手さんやガイドさんに、お国の方々は「国

税」50%、「消費税」25%によく応じていますね、と言うと、この国の

国民は国家に「貯金」しているのです、と言います。

 しかし、それでも、国家の保証は十分ではないと思い、一生懸命仕

事をして、少しでもよい老後を送ろうとして、老後のために個人でもせ

っせと貯金しているそうです。

 どこの国の人でも、「老後」については「漠然」とした「不安」はあるも

のだなぁ、と思いました。



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「介護保険」は誰のためのものでしょう


 「介護保険」の構成を見てみましょう。

 介護保険で支払われるお金は、国民が一定の年齢になると徴収さ

れる保険料と、国・県・市町村などが拠出するお金で構成されていま

す。

 一方、受け取る側から見ると、受け取る金額の90%は上記の介護

保険からの収入であり、残り10%はご利用者様本人から直接受け取

る収入ということになります。

 このことは、一定年齢の国民は介護を受けている、受けていないに

関わらず、一定の介護保険料を(全国平均で保険料基準額は4,972

円と報告されています)支払っていれば、介護を受けた場合には、そ

のかかった金額の10%を負担すれば良いことになります。

 つまり、国民は、介護を受けて、自らに1万円の支払いがあった場合

には、その10倍の10万円が介護事業者などに支払われているという

ことです。

 介護保険はご利用者様の負担を10分の1に軽減しているのです。

 このような仕組みの中で、介護が安い(と思われる)お金で、誰でも

受けられるようになりました。

 その結果、介護が家族の手から介護事業者の手に容易に移ること

ができました。

 家族の負担が減ったということは、介護に伴う精神的、金銭的労苦

が減ったということです。

 ところで、昔と違って、今は家族構成が全くと言ってよいほど違って

いるのです。

 老々世帯がどんどん増えています。

 一家がお年寄り夫婦、若夫婦、子供(孫)など三世代で構成されて

いた時代ではないのです。

 従って、もう現実的には、昔風な家族介護など望んでも不可能なの

です。

 このようなことを考えますと、我が国の介護保険は時宜にかなった

というより、時代の変化にスレスレ間に合ったというべきです。

 介護保険の恩恵は、介護を受ける本人にとってはもちろん、(同居し

ていないとしても)その家族、係累(けいるい)の方々に大きく貢献しま

した。

 よって、介護保険は、介護を受ける本人と、その家族などのため

に、半々にあると言うことができます。



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「あなたは誰から介護を受けたいですか?」


 「あなたは誰から介護を受けたいですか?」

 「あなたの介護は誰がするでしょうか?」

 この2つの問は似ていますが、微妙にニュアンスが違うようです。

 さらに、

「あなたの介護は誰がすることになるでしょうか?」

 と問うたらどうなるでしょうか。

 以上のような問いかけは、昨日の私のブログで書いた、10年前の

「アンケート」にもありました。

 そこで、私が感じたことは、10年前の時点では世代的な違いがはっ

きりしていたことでした。

 まず、私を含めた戦後の、いわゆる団塊の世代とされる昭和22年

~25年くらいの生まれの人たちを境にして、考え方が全くと言ってい

いほど違います。

 ①団塊以前の人たち

   親の介護は子供がするのは当然であるし、長男の妻は一家の

   嫁なので、長男の妻が会社に勤めているのなら、そこを辞めて

   までもまず、するべきである。

 ②団塊の世代の人たち

   親の介護はしようと思うし、しなければならないとも思うが、自分
 
   の介護は、子供や子供の妻からしてもらおうとは思わない。

 ③団塊の世代以降の人たち、というより団塊世代の2世、
                               ジュニアの人たち

   親の介護はできないし、無理でしょう。

   どうぞ、親は自分達の資産は消費しても良いから(遺産など残さ

   なくても良いから)自分達のことは自分達でやって、子供の私た

   ちに「負債」を回さないでほしい。

 ということです。

 以上のことは10年前の「情勢」でした。

 その証拠的な文献として、

 「母に襁褓をあてるとき――介護闘いの日々」
                         舛添要一著 1998年刊
 

    ※【襁褓(むつき)とはおしめのことです】
     この本の中で舛添氏は家族介護の葛藤からか、家族介護の
     限界を感じて「介護はプロの手で」と書いています。

 「私、親の介護はできそうもありません
              -あなたも親も救われる55の知恵」 
                         池田武史著 2000年刊
 

    ※この本の中で池田氏は、介護が「愛情」だけでなされることに
     「重さ」を感じて、介護の「作業」の「換金」性を指摘したものと
     も評価され、介護保険導入の時代を先読みしたというべき内
     容でしょうか。
     「そうです、介護はお金で買うんです」と書いています。

 介護に対する考えは時代によって変わります。

 さて、現時点ではどんな「情勢」なのでしょうか。

 この問題の「情勢」の変化には、2000年を境にして、同年に発足し

た「介護保険」が大きく影響を及ぼしてくることになると思います。

 明日は、この 「介護保険」 のことに触れてみましょう。



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「都市の空気は人を若くする」
        (人は人によって癒される)



 この言葉は私が2003年(平成15年)に新潟駅前に13階建て 「高齢

者全対応型マンション」 と銘打って、全63戸を分譲した時に販売パン

フレットのメインのキャッチコピーに使用したものです。

 このマンションは、その他に45人分の介護付有料老人ホーム(特定

施設入居者生活介護)が2階から4階部分に同居しています。

 当時からして、高齢者向け分譲マンションは珍しく、特に不動産業者

が分譲するものとしては出色のものでした。

 その建設に当って、私は新潟県内に1万通、県外の、特に東京方面

に1万通のアンケート調査をして、この手のマンションの市場の規模、

動向を探りました。

 その時の重要な一つの観点は、高齢期の方々はその最終生活地

(終のすみか)として、自然の豊かな所(例えば月岡温泉のようなとこ

ろ)を取るのか、それとも、大勢の人たちが交流する都市部(例えば

新潟駅前のようなところ)を選ぶのか、という点でした。

 その時のアンケート結果は、結局半々であったように思います。

 ただ、私は不動産業者としての着目からして、やはり、都市部に建

てるべきであると結論を出しました。(もし、売れなかった時に 「敗戦

処分」 としては都市部が勝るからです)

 いろいろ事前に研究したのが奏功したのか、販売成績としては上々

でした。

 ほとんど全戸室が建設完成前に販売できました。

 好評のうちの販売中にますます感じたことは、人は人の交流する場

所が好きなんだなぁ、ということでした。

 きっと人は人によってこそ癒されるのだと思いました。

 あれから約10年、今 介護の現場は街中にあるとして、住み慣れた

その人の人的、環境的価値を大切にとされるに至っています。

 このことは、大まかな結論として、人は人にこそ癒されるのだという

ことだと思うのです。



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新潟日報報道 今度は 「併記」


 今朝の新潟日報に常陽会と 「元職員」 との 「雇用関係の存在確認」 訴訟で、常陽会が一審の新潟地裁の判決を不服として、上級審である東京高裁に控訴したという記事が載っていました。
 この問題の詳しい経緯については、去る4月23日付のこのブログで 『新潟日報 報道不平等』 と題して、私が書いています。
 ところで、今日の日報紙では、私が 「不平等」 と指摘したことについて、記事の後半部分で、常陽会と理事長の私が、 「元職員」 と組合に対して名誉棄損による損害賠償訴訟を新潟地裁に提起していたこと、そして、同地裁が今年3月の判決で、常陽会と理事長の私に計74万円の支払いを、組合に命じたことが併せて報道されていま
した。
 前回の私のブログで私が言いたかったことは、新潟日報のような天下の 「公器」 たる報道機関からは 「平等」 な報道をしてもらいたい、と思ったということでした。
 なお、付け加えて、私の 「裁判」 に関する考えを書きますと、世情の暮しの中で、立場が違ってやむなく相争うようなことがあった場合には、その決着を裁判所の判断に求めることは 民主主義のルールとして認められていることであること、そしてひとたび裁判所に判断を求めた以上は、当事者たちは互いの主張を法廷で粛々と行い、裁判所の 「公正」 な判断を仰ぐべきことだと思います。
 そして、その最終的な判決に従うべきだと思います。
 よってその他の場所で、自らを一方的に正しいとして、相手方を一方的に誹謗中傷する不当な 「示威行動」 などは、厳に慎むべきだと思います。
 なぜならば、そのような行動は相手側に威圧を与えて、憲法に保証されている裁判の継続を断念させようという意図があるとみなされる場合があるからです。
 この度の組合側が、常陽会や理事長の私に対してなした 「示威行動」 は裁判所から、常陽会と理事長の私の 「名誉を傷つけた」 として、損害賠償まで命じられるところとなっているのです。
 このことは、「組合」 が社会に通用せんとする 「天下堂々」 の組織であるならば、まことにいかがなものかと思わざるを得ません。


 ※【参考】前回4月23日付理事長ブログ 『新潟日報 報道不平等』
  http://jyouyoukairijicyou.blog.fc2.com/blog-entry-25.html




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緊急手術! 麻酔なしで!! 


 この休日、東京に行っていました。

 そこで大変なことがありました。

 街を一人で歩いていると、急に腹部に激痛が走りました。

 うずくまって痛みに耐えていると、誰かが救急車を呼んでくれたの

か、サイレンの音が近づいてきました。

 そのまま、救急車に乗せられ、気付いた時には手術室なのでしょう

か、手術用のベッドに全裸で乗せられて、薄い白い布が腹のあたりに

かけられています。

 手術室のライトがまぶしく、仰向けの私を照らしています。

 医師と女性の看護師さんが立っています。

 連休中だから人員が少ないのだと、その時、思いました。

 医師が私に言います。

 「これから緊急に手術することになりました。すぐ執刀します。

  それから、当病院では、後遺症や副作用が残りますので麻酔は

  しないことになっています。」

 「えっ、でも、それだと痛いでしょう?」 と、私。

 「ええ、みなさん痛がりますね。」 と、医師。

 「でも・・・・・。僕は痛いのは・・・、ちょ、ちょっと・・・・・・・。」

 「大丈夫ですよ。みなさん、すぐ気を失ってしまいますから。」

 「ええっ、そ、そんな~ぁ・・・・・・・。」

 無表情の看護師がさっと白い布をめくって、腹部を露出させます。

 間髪を入れず、医師がメスを上から突き立てます。

 私は、思わず 「ギャーッ」 と叫び声を上げてしまいました。


     ・・・と、その時、私は目が覚めました。

     夢だったのです!!

     ああ~、よかった~あ

     あのメスで刺される前に目が覚めて!!(笑)(笑)



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天才、名人、達人


 天才、名人、達人とは、よく言われる言葉ですが、本日はこれについ

て私なりの解釈を言い述べてみます。

 『天才』 は 「天賦の」 という語をつけないわけにはいきません。

 「天賦の才」 などといいます。
 
 最初から、その才能を持って生れてきているのです。

 努力や精進などの語とは無縁なものです。

 鶴が鶴の声を発し、菊が菊の花を咲かすようなものです。

 歌手でいえば、美空ひばりのような人です。

 『名人』 は勿論、並はずれた技術を持つ人ですが、人格が備わな

ければなりません。

 誰からもその力量が納得される人でなくてはなりません。

 相撲で言えば、強いだけではダメです。

 強さが尊敬、敬服されなければなりません。

 往年の双葉山がそのような人だったと聞いたことがあります。

 『達人』 は技量に 「切れ味」 が備わっていなければなりません。

 見た人に 「スカッ」 とした爽快感を与えることが必要です。

 野球の選手で言えば、イチローのような人です。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 どうですか?私の 「解説」 に同感していただけるでしょうか?

 いろいろな分野で 天才、名人、達人 がいると思います。
 
 あなたの考える分野で 天才、名人、達人 はいるでしょうか?


 ※次回ブログは5/7(月)の予定です。



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本屋で本に会う


 私はヒマな時間ができると本屋へ行きます。

 なるべく大型の本屋へです。

 それは、まだ知らない本に会うためです。

 友人を探しに街にいくような気持ちです。

 大型の本屋へ行くのは、たくさんの本がそこに待っていてくれている

ような気がするからです。

 じっと本棚を見て回ると、必ず私に話しかけてくる本があります。

 その中から私が気に入った本を手にとって覗いてみます。

 そこで 「相思相愛」 になった本を買います。

 一度、「お見合い」 に行ったら、2、3冊あるいはそれ以上の本を買う

ことが多いです。

 でも、買ってきた全部の本を必ず読むわけではありません。

 全部は読めなくとも1冊や2冊は読めます。

 10冊買って、1冊でも2冊でも読めば買わなかったよりはマシだと考

えます。

 なぜならば、10冊買わなかったら、1冊も読んではいないからです。

 このようにして、本屋へ行っていると、今まで、たくさんの本との出

会いがありました。

 本は、一生の友達になったり、先生になってくれたりします。

 例えば、一生の友達になってくれた本は、「週刊 地球旅行 全100

冊」(講談社)。

 また例えば、一生の先生になる人を教えてくれたのは文庫本 「戦後

の短歌」 (清水正二編)です。

 「戦後の短歌」 は高校2年生の時に古町の北光社で出会いました。

 その本の中で見つけた 「宮柊二」 は、以来 数十年にわたり私の

「信奉」 の対象となりました。



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薫風に泳ぐ鯉のぼりたち
       -ケアハウス リバーサイド輝



 5月の爽やかな風に乗って30匹ほどの鯉のぼりが横二列になって

盛んに泳いでいます。

 ケアハウス リバーサイド輝では、毎年この時期になると5階屋上に

ロープを張って、大空に 「鯉」 を泳がせます。

 ロープを張るのは、素人の職員では危険なので、専門の業者さんを

頼みます。

 「鯉」 は、頂いたものや借りてきたものです。

 併設のデイサービスのご利用者様や隣接の特養ソフィア輝のご入

居者様などにも晴々しいと喜ばれています。

 実は職員も楽しんでいるようです。

 昔、私の家に男の子が生まれた時、友人で新潟一の日野屋玩具店

に行って、一番大きな鯉のぼりを買って来て、10m余もある長い竹竿

を庭に建てて、毎年田植え時期に上げていました。

 遠くの田んぼから見ると、ことのほか晴れやかで頼もしく見えたもの

でした。

 私の家ではその後、男の子が2人生まれ、合計3人になりましたが、

女の子は生まれませんでした。そのため、女の子用のお雛様は買わ

なくても良かったので、結果的には、特大の鯉のぼりは3人で 「共用」

することになり、その点経済的でした。

 昨今では狭い住宅事情などで鯉のぼりも雛飾りも 「省略」 されてい

るような風潮があるように感じられ、寂しい思いがします。

 もっと日本の伝統的な文化を見直してほしいものです。

 ちなみに私などは年齢的な面もあるかもしれませんが、とてもトラ

ディショナル(traditional)です。

 お正月三箇日には羽織袴で、夏には浴衣姿でと過ごしています。

 浴衣姿でビアガーデンに行くと、ひときわ涼しく、そして美味しくビ

ールが飲めるのです(笑)



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