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亀田郷物語② 「水との戦い」内と外


 前回の亀田郷物語①において、亀田郷の歴史は「水との戦い」であ

ったと書きましたが、その時、亀田郷は、東西南北、阿賀野川、信

濃川、小阿賀野川、日本海に囲まれていて、それぞれ高く強い堤防を

築いていることから、さながら城塞都市のようだという説明をしまし

た。

 欧州や中国には、城塞都市がたくさんありますが、それらの城塞

は、外部からの敵の侵入に備えたものでした。

 とすると、亀田郷の堤防も外からの水の侵入にだけ備えたものかと

思いますが、実は内側にも厳しく長い戦いがあったのです。

 一応、文献から亀田郷の堤防が大水になって、切れた回数と箇所を

あげると、江戸時代から現代までに、約50回くらい、約20ケ所の所で

あったと記録されています。

 ただ、私が言いたいのは、上記のことは、外側からの「外敵」水害で

したが、内側にも内側の戦いがありました。

 その理由は、外側に向けた堤防は、外側から水は入れませんが、

逆に内側の水も外側には逃がさないということで、すなわち、内側の

水は堤防の外には出ませんから、内側に溜まってしまうことになりま

す。

 このため、堤防内の亀田郷内は、「湿地帯」になってしまいました。

 もともと、水の溜まっていた芦沼に堤防を築いて、内と外を造ったの

ですから、亀田郷の多くは(実は2/3の面積が海抜0m以下の地帯な

のです)、「湿地帯」どころか、「水地帯」だったのです。

 ですから、ひとたび雨が降ると、水の逃げ場がなく、すぐ溜まります

から、たちまち ぬかるみ になります。

 いや、年中がぬかるみ状態でした。

 春の田植えも、秋の収穫も、水の中で胸、腹まで水に浸かって農作

業をしました。

0629理事長ブログ

 このような状態が改良されたのは、「土地改良法」の施行によって、

農地の区画整理工事が行われ、亀田郷で一番低い所、亀田郷の水

溜まり、「鳥屋野潟」から、直接、水を堤防外の信濃川に捨てようとい

う計画の下、親松排水機場が作られました。

 また、堤防内を整然とした区画に改良、すなわち、直線的な道路、

排水路が作られ、降った雨水を直線的に水溜まりである「鳥屋野潟」

に集め、集まった水をすぐさま堤防外の信濃川に排出するという、遠

大な計画を立てて、それを実行しました。

 これによって、亀田郷の乾田化が進み、湿地帯が固い耕地に生ま

れ変わり、その結果、大型農業機械が圃場(ほじょう:田や畑)に難な

く入れるようになりました。

 これによって、亀田郷の農民たちは宿敵「水」に勝つことができ、今

日の美田を確保し、美しい亀田郷の四季を愛(め)で、牛馬にも等し

い、苦しい辛い労働や、過酷な生活環境から解放されたのです。

 私は、今の若者たちが農業を誤解しないかと心配になる時がありま

す。

 それは、稲の苗はプラスチックの箱で作り、田植えはスニーカーを履

いたまま、機械に乗って、田植えは機械がやるものだと思ってしまうこ

とです。

 もし、石油がストップしたら、農業は原始に戻らなければならないの

です。

 はたしてその時、今の若い世代の人たちは農業の原点を思い起こ

すことができるのでしょうか。

 あれれっ?こんなことを心配している私は、もう老婆心でいっぱいの

爺さんになったということなのでしょうか(笑)

※参考文献:亀田郷の歴史(亀田郷土地改良区)



0629理事長ブログ(親松排水機場)
現在の親松排水機場です。ここから鳥屋野潟に溜まった水を信濃川に排出しています。


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世界 物語① 
     太陽はどっちから出てどっちに沈む?



 私は若い頃から旅行が好きでしたから、今まで国内、海外ともたくさ

んのところに行ったと思います。

 旅先での、少し変わっていること、大いにおかしいこと、聞いたこと、

見たこと、体験したことなど、「ひとつ話」として、このブログの話題を

切らさないようにするためにも、「世界旅物語」として書いてみたいと

思います。

 そこで、今日は、北欧ノルウェーのベルゲンのあたりで、よく現地ガ

イドさんから受ける「なぞかけ」です。

 今月の21日は夏至に当り、一年で一番昼の長い日(夜の短い日)で

す。

 これは、北半球での話で、地軸の傾きと緯度による「現象」です。

 すなわち、地球の地軸が23.5度傾いていることから、夏には、北極

点によく陽が当り、北極点あるいはその近くでは、24時間 太陽が沈

まないことになります。

 赤道から北極点にかけて、緯度は高くなっていきます(北極点の緯

度は90度)から、北半球では緯度が高いほど夏は陽が長いことになり

ます。

 ノルウェーのベルゲンの緯度は、北緯約60度ですから、夏には白夜

とまではいきませんが、昼は長く、夜は短いです。

 夏は夜の11時頃日没して、朝は朝の2時頃日の出と聞きました。

 さて、ここで現地ガイドさんが必ず「クイズ」を日本人観光客に出しま

す。

 「みなさん、この時期ここでは、太陽は東西南北のうち、どちらから

昇って、どちらに沈みますか?」 と。

 そもそもこのようなクイズを出すということは、日本人はあまりそれに

近い体験をしたことがないので、すぐ答えられないということなので

しょう。

 やはり、誰もが ?? で、なかなか答えられないようです。

 でも私は、すぐ手を上げました。

 私の答えは「北から昇って、北に沈みます」と、わりと自信を持って言

い切りました。

 同行の日本人の皆さんは、まだ ?? という顔をしています。

 そこで、ガイドさんは言います。

 「はい、正解です!」

 するとようやく、皆さんから 私は称賛の眼差しで見られることになる

のです(笑)

 もっと緯度の高い所に行けば、北に沈みそうになっても沈まず、沈ま

ないうちに日は昇ってしまうのです。

0628理事長ブログ
これが沈みそうで沈まない太陽です。(朝雲ニュースより)

 北極点に行けば、中天の空をぐるぐる回っているのかもしれませ

ん。

 北欧は、夏には爽やかな好天が続くようですので、日本人観光客が

たくさん訪れます。(ただし、ベルゲンは違います。雨の日が多く、「雨

のベルゲン」と呼ばれています)

 でも、現地の人たちは、観光客から冬にも来てほしいので、オーロラ

の素晴らしさや、冬の観光の見所も宣伝しています。

 一度、みなさんも北欧を訪れてみてください。

 遠い国ですから、まだまだたくさん日本人には考えられないことがあ

るのですよ。

 次回、機会があったら、「北欧女性たちの街中 裸の日光浴!!」を

お話ししましょうね。(思わせぶり)(笑)



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亀田郷物語① 「郷」と呼ぶその「意味」とは?


0627理事長ブログ亀田郷j
  亀田郷の全体図です
 

 「亀田郷」という言葉は、時々、そして、よく聞く言葉ですが、その意

味するところと歴史的なことを、私が私なりに一般のみなさんに説明し

てみましょう。

 実は、私自身、私のアイデンティティ(identity:身分証明のようなも

の)を考察するとしたら、この「亀田郷」という地域を語らずしてありえ

ないと思うのです。

 私の家は、その昔「志田家本家」から分家として、私の祖先が独立

してから、私の代で8代目とされます。

 一代30年とすれば240年間、代々 現在の場所で暮らしてきたことに

なります。

 私の子供の頃には、私の屋敷には直径1.5mくらいはあろうかとい

う、欅の木が5本くらいありました。

 今はそのうち1本が残っています。

 欅はあと2本ありますが、これはその次に大きかった木です。

 これらの欅は恐らく、私の祖先が最初の家を建てた時には、もうか

なり大きかったと思われます。

 私の家の「8代」はこの欅たちに見守られて暮してきたのです。

 それはさておき、さらに「亀田郷」のアイデンティティに話を移しま

す。

 「亀田郷」にはアイデンティティを語るにふさわしい、歴史がありま

す。

 それのコンセプト(concept:概念、観念のようなもの)は「水との戦

い」でした。

 ところで、「郷」というのは律令時代の行政区の「末端の単位」とされ

ますから、小さな、まとまった「区域」ということでしょう。

 しかし、この今呼んでいる「亀田郷」というこの地域に、律令(法律)

に基づく「地域指定」などがあったわけではありません。

 では、なんで「区域」の「概念」が生まれたのでしょう。

 それは、「水との戦い」の歴史からでした。

 現に、亀田郷の「区域」を見れば一目瞭然です。

 亀田郷という「区域」はその周りを日本海、阿賀野川、信濃川、小阿

賀野川に囲まれています。

 すなわち、四方を水に囲まれていますから、「外敵」である水から自

分達の生活を守るために、高く、強い(理想としては)堤防を作って、

自分達の地域を囲いこんでいるのです。

 ところで、この地にはその中心として、古くから「亀田」という、当時と

しては大きな人口集積地がありました。

 ここに「亀田地区」「亀田郷」と言われる素地ができていました。

 具体的には、大正3年(1914年)に「亀田郷水害予防組合」ができて

いますが、「亀田郷」は当時の行政庁からというよりはむしろ、「民意」

で成立したようです。

 その後、昭和24年(1949年)に「土地改良法」という法律が施行さ

れ、この時もひとつの民意で、それまでの「亀田郷耕地整理組合」が

改名され、「亀田郷土地改良区」となったとあります。

 この際にも、「亀田郷」は特に法律に基づく行政区ではありませんで

したから、民意で「亀田郷」と名乗ったということでしょう。

 以上のように考えると、「亀田郷」という名称は、律令(法律)にある

行政区の「最小単位」という区分ということは意識しながらも、「民意」

で「自称」されたものであると言ってもよいと思います。

 このことは、四方を水に囲まれて、「城壁」ならぬ「堤防」で守られた、

「水との戦い」から勝ち抜いてきた「わが地域」という愛着感と、団結感

と、連帯感を強く感じることができます。

 このように考えると、21世紀に住み、もはや「水との戦い」の苦しく厳

しかった歴史など、忘れたかのような今の時代の「私」が、その末裔と

して幸せにこの地に「存在」しているということになります。

それでも、今このように書いている私は、この亀田郷の歴史のこだわ

りから、なかなか解放されない、最後の世代の一人かもしれません。

 私は「亀田郷」の歴史を偲び、先祖たちに感謝しながら、 その万感

の気持ちを込めて、これからもこのブログで時々書き綴って、私が愛

する「亀田郷」のことを、今の時代の人たち、これからの時代の人たち

に伝達していきたいと思っています。



0627理事長ブログ
現在の阿賀野川堤防です。(左手に見える建物はリバーサイド輝です)
右手の水面は阿賀野川です。


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今日は私の「意外性」生活のお話・・・デス。


 私を知っている人で、私が「このこと」を言うと、みなさんビックリしま

す。

 みなさんは私のことを仕事に一途なモーレツ仕事人間だと思ってい

るようです。

 でも人は見かけによらぬもの・・・。

 どんな人でも必ず、見かけに反する何かを一つや二つは持っている

ものです。

 確かに私の人生は、仕事第一でした。

 でもそれは、生計を立てなければならないからです。

 お金に不自由はしてはいられません。

 私にとって仕事はお金を稼ぐ手段として、ありがたい存在でした。

 いつでもその時に与えられた仕事に感謝してきました。

 そして、昔は(いや、昔の一時代は、と言うべきでしょうか)仕事第

一、仕事一途に働くという姿勢は、人間の、あるいは男の「美風」でも

あったと言って良かったのです。

 少なくとも私は、その時代にその生き方を信じて「馬車馬」?のよう

に働いていましたから、人は、そんな私から仕事を取ったら、何も残ら

ない男だと思っていたに違いありません。

 ところがどっこい、そんな風体(ふうてい:なりかたち、みなり)の私が

「このこと」を言うと、みんなビックリしたような、意外な反応をするので

す。

 さて、先程から「このこと」「このこと」と何回も言って、もったいつけて

いますが、「このこと」はどんなことだと思いますか?

 それは「家族旅行」のことです。

 私は結婚以来毎年、子供を連れて家族旅行を欠かしたことがありま

せんでした。

 いつも忙しかったのですが、仕事柄お盆の頃だけは、暇を作ること

ができました。

 そこで、お盆の13日のお墓参りをすませた、14日から毎年のように

出かけていました。

 行き先によって、短ければ2泊3日、長ければ5日、一週間、最長は

海外16日間というのもありました。

 子供は、成長と共に中学に入ると来なくなるし、連れても行きませ

ん。

 子供たちと行ったのは合計22年くらいだと思います。

 私の家は男の子だけ3人兄弟です。

 長男が産まれた年から三男が中学に入るまでです。

 このうち、国内は20回くらい行っていますから、国内20回というと、

ほとんどのところに行きました。(同じところに2度は行きません)

 旅行は毎年行かないと場所数がこなせません。

 20回分、ある時思いついたように行っても、なかなか行ききれないで

しょう。

 今、家族がその頃のことをどう思っているのかわかりませんが、私

は、私自身旅行が好きでしたし、どこへでも行ってみたい、好奇心が

ありましたから、いつも楽しみにしていて、大胆に計画を立てて、かな

り行動的に行っていました。

 子供たちがみな、中学に入ってしまうと家族旅行としては行かなくな

りました。

 その数年後から、今度は夫婦で旅行に行き始めました。

 今では、国内、国外と、2人で行ったり、1人で行ったりしています。

 どうです?意外でした?

 私にも結構マイホーム的なところがあるでしょ(笑)

 見直してくれました?(笑)

0626理事長ブログ1
福井県永平寺で撮影したものです。

0626理事長ブログ2
青森県弘前城で撮影したものです。


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「王様の耳はロバの耳」
          流れる風の声はネットの声



                      L065282.jpg


 ブログを始めて3ケ月、土日以外は休まず続けてこられたようです。

 その日、その日、書く材料(ネタ)に困るような時もありましたが、周

辺からの助言などをもらって、今日まできました。

 ここまできてみると、様々な「読者」からの反応が聞こえてくるように

なりました。

 特に職員の皆さんから、意見や相談などを直接もらうことがありま

す。

 これまでは、常陽会の「制度上」、理事長から、各施設長へ、各施設

長からリーダーや、各職員へという伝達方法でした。

 その場合は、例えば、川上、川中、川下へと、川幅がしだいに広が

っていくにしたがって、水の量も、増えていくことになりますから、この

方法ですと、川上では濃い1滴の理事長の意志が川中、川下へと流

れ、水が下流に流れるにつれて、薄くなっていき、まかり間違えば、味

までが最初の1滴の「エキス」から変質してしまうことがあります。

 しかし、今日では、ネットが使われることによって、前述したような

トップの意志が直接、組織の対象者全員に瞬時に、濃くも薄くもなく、

もともとのエキスのまま、伝わることになりました。

 そのせいか理事長の私が書いたブログを見て、その日の内に、職

員から意見をもらうことがよくあります。

 後日にしても、数人の職員が相談した上で、でしょうか、気軽に?理

事長の私に面談を求めて来ることもあります。

 結論として言えば、「理事長のブログ」は、理事長の私から職員のみ

なさんや、ご入居者様、ご利用者様、またそのご家族のみなさま、そ

して取引先や、その他世間の大勢のみなさまへ発信しているもので

すから、私以外の大勢の方々に平等に、直接に、向き合っている立場

にあります。

 ですから、私のブログ(私の意見)に何かお気づきのことがあった時

は、どなたであれ、「お気軽に」その「反応」をお寄せいただきたいの

です。

 それが例えば、内容的には常陽会の理想であったり、また、職員の

不満であったり、規則の改定に関することであったり、その他、相手先

においても、ご利用者様などからのもの、世間様からのもの、いろいろ

あることでしょう。

 私は、理事長として様々な場面で、他から指摘を受けた事柄につい

ては、きちんと対処していく所存です。

 現に今、いくつかの問題をこのブログの読者からいただいて、私自

身が勉強をしたり、また、関係者に検討させたりしているものもありま

す。

 今後は、ブログでいただいたご意見には、日を置かずしてブログで

お答えや説明をしていきたいと思っています。

 私のブログがネット上で、多くの人たちから「鍛えられる」ものである

なら、私はそれに「耐えて」このブログを続けることによって、常陽会が

世間に通用し、「アテに」される法人でありたいと願っています。

 世間の評判やうわさは自由なものです。

 自由な意見に真摯に応えていきますので、どうぞなんなりと「お申し

付け」下さいと、お願いいたします。

例え、それが「王様の耳はロバの耳」というものであったとしても(笑)




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「ずく なし」父さんに「がんばり」母さん


 先日のブログで、「ずく なしの花」と題してタニウツギの木の花を生

けようとして、枝を切って花瓶に挿しても、水をあげることができなくて

すぐ枯れてしまう。

 すなわち、その能力がない、甲斐性がない・・・、ずく がない、という

「ずくなし」・・・こんな話をしました。

 ところが昨日、ソフィア輝の玄関にある、大きな花瓶に大輪のあじさ

いを生けてくれている職員に聞いたところ、あじさいの種類によって

は、やはり「水あげ」の悪い花があって、すぐ枯れてしまうと言います。

 そこで、「水あげ」を良くして、花を長もちさせるために、漂白剤の「ハ

イター」を花瓶の水に溶かして入れると、茎が水をよく吸い上げること

ができるということです。

 ずく なしが、ハイターのおかげで ずく なしでなくなる、というのです。

 これを評して、「ずくなし父さん」に、「がんばり肝っ玉母さん」と、私は

思いました。 

実は昔から、東新潟の地域の女性(これを総称して沼垂女性と言った

ようです)は、働き者で、いささか働きの悪い父さんでも母さんの働き

で食わしていく、と言われていました。

 「沼垂女性は働き者」という、レッテルがありました。

 このような話は、タイのバンコクでもガイドさんから聞きました。

 バンコクでは、父さんはあまりよく働きません。

 父さんは昼間から道路端の床几(しょうぎ:屋外使用の腰かけ用の

台座)に腰をおろし、ゲームや雑談をしたり、お酒などを飲んでいま

す。

 ここでは母さんが、早朝から夕方まで暑い中、もともと浅黒い肌をま

すます黒くしながら働いています。

 父さん族は、それを「当て」にしてのんきにゴロゴロしているそうなの

です。

 こうしてみると、世界のいたるところに頑張る肝っ玉母さんがいます

ね。

 中国では、「天の半分を支えているのは女性」と言うそうです。

 これらに比べると、と、言うことではありませんが、常陽会では女性

職員が圧倒的に多いですから、常陽会を支えているのは女性の力、

女性職員の働きがあってこそ、常陽会が成り立っているということで

す。

 でも、男性も負けてはいられません。

 「微力」でも、女性の皆さんを支えて?がんばりましょう。

 今日は常陽会の女性職員の方々に感謝しつつ、この文章の締めく

くりといたします。

 女性職員のみなさんありがとうございます。

               ・・・「ずく なし」理事長より「ずく」を込めて(笑)



0622ブログあじさい
◇昨日、玄関前の大きな花瓶に生けた大輪のあじさいは、「ハイター」の甲斐もなく、
 今日には枯れてしまいました。これは、今日生けたあじさいの一輪ざしです。


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『君の名は』余話 ・・・大流行した「真知子巻き」 

まちこまき


 先日、私版「君の名は」を書きましたが、このことについて、もう少

し、触れてほしという意見がありました。

 それは「真知子巻き」のことです。

 前述したように、「君の名は」は菊田一夫のNHKラジオドラマが大

好評を博したことから、映画にもなりました。

 映画では主人公の「真知子」を岸惠子が、「春樹」を佐田啓二が演じ

ました。

 ちなみに佐田啓二は、当時から美男俳優で有名でした。

 そして、ご存知でしょうか、実は中井貴一の父親です。

 「真知子巻き」は、当初から演出されたものではなく、たまたま北海

道でロケがあった時に「真知子」役の岸惠子があまりの寒さから、ショ

ールを肩からぐるりと一周させ、耳や頭をくるんでいたところ、(もう少

し詳しく説明すると、ショールの右側を長めにとって頭に被せ、長い方

を首に巻きつけた、簡単なスタイルです)この姿はカメラが回っている

時にも使われ、「真知子巻き」が世に出たということです。

 ところで、「真知子巻き」は女性のファッションのひとつとして、現在で

も女性に愛用されているようですね。

 きっと、今の若い女性たちは「真知子巻き」は知っていても、「東京大

空襲」も、「数寄屋橋(すきやばし)」(現存していない)も、菊田一夫も、

佐田啓二も、「君の名は」というドラマもなんにも知っていないのでしょ

うね。

 戦後生まれの青年が、自分たちのことを自ら「戦争を知らない子供」

と、歌ったことも懐かしい思い出となってしまいました。

 まさに、天下泰平、日本中がともかく平和を謳歌しているということ

でしょうか。

 これから冬になったら、私も女性たちの「真知子巻き」を探してみよう

かと思います。

 きっと「君の名は」のドラマの「真知子」と、私がおんぶしてあげた幻

の「真知子」さんのことも、思い出されるかもしれませんね。(笑)



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『パスモの掟(おきて)』 
      ・・・迷宮のミステリー 私は今どこに?
 

パスモ
                                        (これが私のパスモです)
  
 私は以前、よく東京に行っていました。

 そこで、電車の乗り降りなどに便利な「パスモ」を持っています。

 パスモはプリペイド式の電車切符ですから、多くの人たちが便利に

使っています。

 ところが、ある日突然、私のパスモが使えなくなったのです。

 改札でいつものようにかざして入ろうとすると、「使用できません」と

拒否されてしまうのです。

 私には理由はわかりませんから、その時は一応、切符を買い直して

入場します。

 その次も、今度はいいかなって、(まるで機械のご機嫌によって諾否

(だくひ)があるかのように思っていたみたいですね(笑))また、入

場の折、かざしてみます。

 また拒否です。

 時々、所々の駅で3~4回くらい試してみましたが、一度も通過させ

てもらえません。

 型式や規則が変わったのでしょうか。

 また2~3千円分はお金が入っているはずなのに、と思い、ある日つ

いに「意を決して」?駅員さんに聞いてみました。

 すると駅員さんは私のパスモを機械の診断にかけて、こう言いま

す。
 「ああ、このパスモは今、○○駅の中にいますね。これを使うには○○

駅から出さなければなりません。」

 ??私は聞き返します。

 「それでは、今 僕がここであなたに、そこから出してくれるように、お

願いしたら、僕のパスモはそこから出られるのでしょうか?」

 「ええ、そうですよ。それでは、今出してあげましょうか?」

 「助かります、ぜひ出してください。」

 「いいですよ。」

 と、その駅員さんは、見ていると、どこか機械のボタンを押したよう

です。

 そして、私に言いました。

 「はい、これで○○駅を出ることができました。これで自由になりました

から、これからはいつでも使えますよ。」

 「ありがとうございました。これで助かりました。」

 と言って私はパスモを押しいただくようにして、深々と頭を下げたの

でした。

 後で、「罪」を悔いるようにして事件を考えてみたのですが・・・。

 私は、ある日、パスモでJRのある駅から入場して、○○駅に行きまし

た。
 ところが私は○○駅の中で、次の目的地行きの切符を買うか、あらか

じめ持っていた切符で○○駅から次の目的地に行き、パスモを使わ

ず、○○駅から手中にした切符を使って降りた(退場した)ということ

です。

 そのため、私のパスモは○○駅から退場しないまま、○○駅に滞在して

いたことになっていたのです。

 私のパスモはその間、じっと○○駅の中で閉じ込められていたことに

なります。

 その日、ようやくパスモの主人の私が捜索願いをJRに提出し、駅員

さんが捜査してくれたおかげで私のパスモは解放され、また、この社

会で主人の私のために活躍できるようになったということです。

 ほんとに私は何も知らずに、パスモを閉じ込めたまま、苦労をかけ

ていました、ゴメンね、ということでしょうか(笑)



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「もてなし」の最高峰はA航空スチュワーデス 


 常陽会では、2年ほど前から「接遇委員会」と称して、各施設から数

名ずつの担当委員を出して、「接遇」について、勉強会を定期的に開

いています。

 東京の有名セミナーから講師を派遣してもらって、実地研修も行って

います。

 理事長の私としても、施設や事業所のご入居者様、ご利用者様は

大切な「お客様」ですから、その「おもてなし」については、重大な関心

を持っていますし、大切な課題であると思っています。

 ただ、職員の皆さんにどう具体的に「教えて」あげたら良いのかと思

うと、なかなか「良策」はたてられません。

 なぜなら、「おもてなし」は「心もち」の「心根」の問題だと思えるので、

その場の「上塗り」ではうまくいくのかと疑念を持ったり、いや、教育な

どは、すべて「上塗り」から始まるものだと思ったりするからです。

 そこで、私が過去に一番「感動」して「納得」をしたケースを紹介して

みましょう。

 私は以前、仕事やその他の関係でよく国内、国外の飛行機に乗りま

した。

 ちなみに言えば、言葉や、習慣の違いがあるかもしれませんが、航

空関係では、「機内」も「機外」のサービスも日本が世界一で一番だと

思います。

 さて、その日本では、A航空のスチュワーデスの対応が特に優れて

いると思います。

 あ、それから最近、「スチュワーデス」という呼び名は使わなくなりま

したね。

 海外では「フライトアテンダント(Flight Attendant)」、国内では航空

会社 自らが「客室乗務員」と称しているようです。

 その理由はわかりますが、でも、私はスチュワーデスと呼びたいし、

呼ばせてもらいたいと思います。

 ある国内便でのことです。

 その日の私の座席は後方でした。

 前方の座席がよく見渡せます。

 スチュワーデスさんが前方の席の人となにやら、会話をしています。

 当然、膝を折って身を低くして、座っているお客様と目線を合わせて

います。

 会話の内容は遠くで聞こえませんが、とても親しそうです。

 旧知の間柄かと思ってしまうほどです。

 私はてっきり、スチュワーデスさんの自宅の近所の人か、あるいは

スチュワーデスさんの親戚の人でも、偶然、この飛行機に乗っていた

ので、なにやら親しく会話をしているのだと思いました。

 その応対の親しさの「意外性」に「公私混同」かとも見えるほどです。

 その時は、このような印象を残して終わりました。

 その後、何の用事かはっきり思い出せませんが、たぶん、私の乗り

換え便についてだったと思うのですが、同じスチュワーデスさんから説

明を受ける事になりました。

 すると、そのスチュワーデスさんは初対面の、単なる当日乗り合わ

せただけの私に対して、とても丁寧な、心から思いやりに満ち溢れた

態度で話しかけてくるのです。

 まるで、私の近所に住んでいるどこかの娘さんか、親戚の娘さんの

ような、まるで以前から知り合いだったような、親しさです。

 こちらが気が引けるほどです。

 この時、私は初めて気が付きました。

 先程、前方で見た、このスチュワーデスさんの応対は、お客様に対

してのごく普通の対応だったのだと。

 きっとこの応対は、スチュワーデスさんがこのA航空の「もてなし」の

基本を具現(ぐげん:具体的にまた実際に表すこと)なり、実行をして

いるのだと。

 当時は、私がお客様に対しての「おもてなし」に注目している時期だ

ったせいなのかも知れませんが、その場面は私には強烈な印象とな

って残りました。

 「もてなし」の基本はすなわち、自分が日頃親しく接している人、大

切に想っている人、尊敬している人、愛する人への自然の対応を出

せば、それこそ、最高の「もてなし」の「姿」なのだという思いに至った

のです。

 あるいは、A航空としても、「目線の対象」を今、私が述べたような具

体的な人たちにすることで、スチューワーデスさんたちにわかりやすく

理解させて、その結果、当初の「もてなし」の成果をあげているのかも

しれない、と私は、部外者であり、素人ながらにも考えた次第でした。

 それから、余計なことかもしれませんが、私は「接遇」と言う言葉が

嫌いです。

 これでは、まるで「水」を「エイチツーオー(H2O)」と言っているよう

な、あじけない言葉だと私は思っています。

 コレ、少し私なりのこだわりデス(笑)



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私版「君の名は」 ・・・新潟地震の思い出 


 一昨日6月16日は新潟地震が起こった日です。

 48年前です。

 先頃の中越地震や中越沖地震よりももっと大きな地震でした。

 ただ、まだ当時はマグニチュードなどという地震の尺度がありません

でしたので、はっきりした比較はできません。

 でも、当時、信濃川に架かっていた「昭和大橋」は、同年の新潟で開

催された「国体」に合わせて新設された橋だというのに、無残にも橋

げたがパタン、パタンというように川に落下してしまいました。

昭和大橋


 山ノ下にあった、昭和石油の石油タンクから火災が発生し、その黒

煙が空を覆ったため、翌日からの新潟は太陽が見えなくなったほどで

した。

黒煙


 市内いたるところに液状化現象が起こりました。

 県営の4階建てくらいの鉄筋コンクリートアパートも横倒しになって倒

れました。

 まだまだ、その時の被害を書いたらキリがありません。

 ところで、みなさんは、「君の名は」というラジオドラマを知っておられ

ますか?

 それはその後、その人気のゆえ、映画にもなり、戦後の一大ヒット作

となりました。

 当時の有名作家 菊田一夫の作で、大体のストーリーはこのようなも

のです。(実は私もよくは知らないのです)

 東京大空襲(ああ、みなさん知らないでしょうね)で逃げのびる折、

互いの難儀を助け合った二人の若い男女が別れる時に、もし生き延

びる事ができたら、半年後にまたここ、数寄屋橋(すきやばし)で会お

うと約束をたてました。

 その別れ際に男性が女性に聞いたそうです。

 「君の名は」と。

 女性の名は「真知子」でした。

 ちなみに男性は「春樹」です。

 と、まあこのようにして始まるNHKラジオドラマなのですが、これが

一世を風靡(ふうび)して大ヒットしました。

 夜、このラジオ放送が始まると「女湯が空になった」そうです。

 女湯に入っていた女性が全員湯からあがって、脱衣所のフロアにあ

る1台のラジオに聞き入ってしまうからです。

 ともかく、女性に「大人気」だったのです。

 さて、これとは別に、私にも新潟地震の日に学校から家に「逃げ帰

る」時に実は同じような「ドラマ」があったのですよ(笑)

 当時、私は高校二年生で、学校は関屋本村のあたりにありました。

 地震発生時は、午後1時2分ころでした。

 当時は、今のようにたくさんの地震などはなくて、地震の知識は何も

ありませんでした。

 大きな精神的動揺が誰にもありました。

 余震がまだ続く中、生徒たちは全員、校庭に集合させられ、無事が

確認されると、簡単ないくつかの「注意」を与えられた後、すぐ解散に

なりました。

 学校側としては、すぐ家へ帰れということです。

 さて、気を馳せて帰る途中、市内の営所通りに来ました。

 この道路を横断しようとしたところ、どこか水道管が破れていたので

しょう。

 営所通りは大きく見れば「坂」になっていますから、車道部分は「ごう

ごう」とばかりに水が川のようになって流れています。

 このまま渡ったら、水で靴やズボンがかなり濡れてしまいます。

 「はて、どうしようか」と歩道に立ちすくんでいると、隣にやはり、他校

の女子高校生が渡るに渡れず困っています。

 この時、私によほどの非常事態という認識があったせいでしょう

か?

 当時、気が小さくて、異性など話しかけることができなかった私が、

なんと、この女子高校生に私が彼女をおぶって、渡してあげると申し

出たのです。(なんて言ったのか、今となっては思い出せません)

 女子高校生はそれを了解し、私におんぶされて無事対岸に着くこと

ができました。

 そこで私たち二人は別れました。

 女子高校生は私の高校の付近にある学校の、やはり二年生で

した。(セーラー服のリボンの色でわかります)

 で、で、この時、私も「君の名は?」って聞いていたら、その後、あの

ドラマのような展開はあったのでしょうか??

 毎年、地震のことが報じられるたび、このことが思い出されます。

 銀座の数寄屋橋(すきやばし)と新潟の営所通りでは、ドラマが違う

ということでしょうか。残念!(笑)



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噂はとかく大きくなる 
  ・・・いつの間にか私が伝説の「大酒豪」に
 


 昨日は東京に来て、久しぶりに数人の人たちとお酒を飲んで旧交を

温め合いました。

 私は以前、不動産業界の新潟県の役員をしていました。

 各県から、同じようにして役員が集まって来て、全国の業界団体が

形成されています。

 昨夜はその「OB会」だったわけです。

 さて、ここで私の「酒豪話」がまた出ました。

 私は別に自分では酒が好きだと「自認」してはいますが、「酒豪」とま

では思っていません。

 ところが、皆さんは思っているようです。

 それは、このようなことがあったからです。

 もう10年くらい前のある時、全国業界の役員のうち7~8名で会議の

後で、小料理屋さんで「懇親会」をやりました。

 その席で、私と福岡県の役員の方(Aさん)と並んで座りました。

 Aさんは私が新潟県なので、私に合わせるようにしたのでしょう。

 「志田さん、この店には新潟の〆張鶴があるのですよ。二人でお燗

で飲みませんか」と言われました。

 「お燗で」と言われたところで私は、Aさんは、きっとなかなかの酒飲

みだなと予想しました。

 二人で飲むうちに一升がなくなりましたが、と店の仲居さんが言いま

した。

 じゃあ、もう一本、ということになりました。

 二人で歓談して飲み進めます。

 他の人たちは焼酎やビールなどを飲んでいて、日本酒をお燗で飲ん

でいるのは私とAさんの二人だけです。

 懇親会が終わるころ、二本目の〆張鶴もなくなりましたので、

「じゃあ」と言って、会の散会と同時に私もAさんもそれぞれホテルに

帰りました。

 ところがその後、噂は広がっていたようです。

 その後、業界の他県の役員に会うと、

 「志田さん、この間はAさんと飲んで日本酒二升が足りなかったんだ

って?」

 その次には、また他県の役員から言われます。

 「志田さん、Aさんと三升飲んだんだって?」

 その次には、

 「三升が足りなかったんだって?」

 ついには業界 会長がある宴会の大勢の席上の冒頭あいさつで、

「みなさんの中には二人で三升も飲むというお酒好きがおられるよう

ですが・・・」、と「紹介」されてしまったのです。

 もうこれが業界の「定説」になってしまって、昨夜はこれが懐かしい

「伝説」として、また話題になりました。

 とかく、噂は大きくなるものです。

 今では私は「そんな若いときもありましたかねぇ」っていう風に涼しい

顔で聞き流しています。

 でも、先程の全国会長は70歳は過ぎていらっしゃいますが、お若い

時から「花柳界」に通じてこられたらしく、私によく言いました。

 「年をとると、もう酒も女も二合(号)までだよ」って。

 功なり名を遂げた人の言葉っていいですね(笑)



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職員との意見交換 
        ・・・「残業」したら必ず「申請」を
 


 先日、ある施設の職員の人たちが5人ほど、理事長の私のところへ

やって来て、その施設の問題点をいくつか訴えるということがありまし

た。

 理事長の私はいつでも職員の人たちと直接話し合うことを「歓迎」し

ています。

 と、いうのは、法人トップの理事長と一般職員とは現実的には「疎

遠」の関係にあるからです。

 しかし、理想として私はそれを良しとは思っていません。

 「雇用関係」は必ず法人代表の理事長とすべての職員とは「直接」

「対等に」契約をしているからです。

 私は理事長として、「施設長会議」を毎週月曜日に開いていますが、

そこでも言っています。

 理事長がいちいち職員と親しく会話を持つべきであるが、それが

現実的にはなかなか難しいので、理事長の替わりとして、施設長を

「遣(つか)わして」いる。

 施設長は各職員の「幸せ」を念頭に職員を処遇してほしい。

 常陽会はまだ成立年数の浅い「幼い」集団なので、施設長や職員に

もし迷うことがあれば、なんでもトップたる理事長に判断を求めて欲し

い。

 すべてのことになるべく「即答」をしたいと思うから、と。

 ここで私が気になったのは、残業のことについてです。

 職員が言うには、「施設長は暗に余計な残業の申請をなるべくしな

いで欲しい」という意向を示している・・・・・というものです。

 これは、私にはにわかには信じられないことでしたが。

 果たして、このようなことがあるのか、ないのかは諮問する必要もな

しとして、理事長として「即答」しますと、職員の何人(なんびと)も残業

をしたら、そのまま「申請」して欲しいということです。(もちろん、残業

は上司の命令によって行われるものとしても)

 その上で、残業時間がとても多いとわかれば、それはそれとして対

策をたてるべきものだと思います。(残業は「するな」と言っているもの

ではありません。必要なものはやって、ちゃんと「申請してください」と

いうことなのです。)

 過去にリバーサイド輝のデイサービスではこのようなことがありまし

た。

 利用が少ない初期の時期なのに残業が多く、日中のデイサービス

なのに夜の20時~21時に職員がようやく帰宅しているというのです。

 調査した結果、そのひとつの理由として、「おしぼり作り」で時間がか

かっているというのです。

 私はすぐに指示を出しました。

 「おしぼり」は施設では作らず、「おしぼり屋さん」に外注するように

と。

 「おしぼり」は職員が残業してまで作るほど生産性のある仕事では

ありません。

 また、私の経営する別のお米の会社では、配達職員がどうやっても

19時前には、お客様達の都合で帰れないと言うので、それを解消す

るために、配達部門だけ、終業を19時にして、従って始業を午前10時

にしたことがありました。
 
 つまり、いつも忙しい夕方の時間を1時間伸ばし、出番の少ない午

前の早い時間を1時間カットしたのです。

 ともかく、いずれの職員も家庭人として、原則的には20時ころには

一家で夕食を食べて欲しいものです。

 重ねて言います。

 合理的に工夫をして「火急」でない残業は解消するよう、努力しま

しょう。

 その前にすべての残業は「申請」してください。

 そうはいかない理由があったなら、どうぞ理事長に具体的に相談し

てください。

 必ず「即答」したいと思います。

 組織の意志伝達は人間の体内の機能の活動に例えられます。

 例えば、理事長としての「脳」はどんな末端の「細胞」ともつながって

いなければなりません。

 急速に体が肥大化した時などには、血液の流れが悪くなると言いま

すが、仮にそのような時としても、 決して、常陽会は「大男 総身に知

恵が回りかね」の程(てい)に陥(おちい)ってはならないと思います。



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朝三暮四(ちょうさんぼし) 
         ・・・時給850円は1,400円にも相当

 

 試みに朝三暮四を広辞苑でひくと、【春秋宋の狙公(そこう)が、手

飼の猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ暮に四つとしたところ少い

と怒り、朝に四つ暮に三つにしたら大いに喜んだという故事】と説明が

あり、その意味として【①目前の差別にばかりこだわって、同じ結果と

なるのに気が付かないこと】とあります。

 私の高校の漢文の教科書にも出ていました。

 中国の春秋時代といえば、今から2500年くらい前ですが、その言葉

が今、急に現代における私の頭に蘇(よみがえ)ってきました。

 人の世の教育の偉大さを考えました。

 さて、それはこのようなことです。

 これから私なりの説明をしましょう。

 私は少し錯覚をしていたのです。

 勤務形態の中で、パート勤務というのは、常勤と比べて短い勤務を

さすと思うのですが、今日ではこの勤務形態の人たちは、ずいぶん保

護されていて、ある一定の日数や時間を超えると、ほぼ常勤と同じく、

厚生年金や有給休暇、賞与などが支払われる対象になっているとい

うことです。

 具体的には介護の現場では、介護福祉士の資格を持った人で時給

850円くらいになっているということです。

 ところで、私の言わんとするところは、それならばそれを「規定」して

いる要件、すなわち一定の日数や一定の時間などを下回った場合に

は、前述した厚生年金や(完全な)有給休暇、賞与などの対象からは

ずれるとし、雇用側はそれらを支払わないと明言して、それらの分を

加算したとして時給を「1,100円~1,400円」(※注1)とした場合、むし

ろ雇用される側の人たちは歓迎するのではないか、ということです。

 だいたい一般例として、週30時間以下くらい働くのであれば、上記

の厚生年金や(完全な)有給休暇、賞与などを支給しなくとも良いとな

れば、優に時給を「1,100円~1,400円」(※注1)支払っても雇用側は

良いわけです。

 そのようにした場合、子育て中の人、扶養家族で留まりたい人、ま

た、様々な事情で「パート」を希望する人にとって、パートだからという

「一律」的な850円にこだわらない「1,100円~1,400円」(※注1)の「パ

ート」賃金が実質もらえるならば、自らの希望として例えば週30時間

以下の時間を選ぶのではないでしょうか。

 現実的な問題として「パート」で働く人が「常勤」の人より仕事のレベ

ルが劣るとか、特に資格を持っていないとかいうことはないと思われ

ますから、雇用する側から、時給「1,100円~1,400円」(※注1)を支払

ってもなんの支障もないはずです。

 以上のことは、もう常陽会以外の法人では採用されているのでしょ

うか。

 常陽会としてはむしろ、これらのことを十分に説明した上で、積極的

に「高い時給」のパート職員を作り出していき、ひいては介護の業界に

少しでも働いてくれる人たちが増えるようにしていければと思っていま

す。

 これが私の現代における「朝三暮四」ということです。

 少しわかりにくい「自論」かもしれませんが、私にとっては古典に学

んだという気持ちで、当時の漢文の先生を思い偲(しの)んでいるとこ

ろです。

 ちなみに漢文の先生のお名前はとうに忘れてしまいましたが、あだ

名はまだ覚えています。

 それは ダンチョウ(団長?)でした(笑)

(※注1) 
 ■1,100円は賞与分を全く考慮しなかった場合の額
 ■1,400円は賞与分が常勤評価と同様に年間3ケ月相当が考慮され
  た場合の額


HP 007


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常陽会 組織の充実、そして刷新 


 常陽会は設立されてから13年が経過しました。

 「措置」の時代から、「契約」の時代へと介護をとりまく環境も変わり

ました。

 施設、事業所も増加し、どう数えていくつあると言ったらよいか、わ

からなくなりました。

 職員数は、当初ケアハウスの5人から、今では500人くらいになろう

としています。

 それに伴って、いくつかの「遅れ」も目立ってきているようです。

 今、気が付いたことは年間の公休日の数です。

 いろいろ調査してもらったところ、常陽会の年間公休日数は109日

で、調査対象にした福祉関連の法人の中では、ちょうど中間だという

ことです。

 私は、それを聞いてびっくりしました。

 世間の法人の休日数の多さと、それに遅れを取っていた常陽会の

停滞感に気が付いたからです。

 私は今まで、民間の会社に属して41年、途中、自分で会社を興して

以後32年くらいになりますが、常に「進取、開明」の気風を持ち続けて

きたつもりでした。

 昔、私のお米の会社が週休2日制を採用したのは、業界最大手の

某卸し企業よりも先でした。

 また、早くから独自ソフトで業務のデジタル化を進め、その進捗ぶり

がIT最大手F社の内部報に載ったこともありました。

 お米の販売の手法の新しさについても、当時のNHKニュースセブン

などの全国放送にも何回か紹介されました。

 まだまだたくさんありますが、人間、昔のことを言い出したらその人

の終末が来たと言われますから、この辺でやめておきます(笑)

 ともかく、私がここで言わんとすることは、今まで、「進取、開明」の気

概でやってきたことが、今の介護業界ではずいぶん「遅れ」をとってい

るなぁ、と気が付いたということです。

 「休日数」については、常陽会以外の人から偶然聞いたものでした。

 やはり、今の常陽会は外部からの新鮮な「知識」と「忠告」を受容れ

る時期にきていると思いました。

 公休日数については、急に多く増やすと人員が回らなくなるので、

年間プラス4日の113日に改訂して、これはすぐに実施することにしま

した。
 
 今後は毎年2~4日くらいずつ増やして、早く先頭集団に追い付きた

いと思っています。

 その他にも、常陽会の規定には古くなっていて、早急に新しく改訂し

なければならないものがたくさんあるのではないでしょうか。

 私の「進取、開明」の気質は今も、今後も変わることはありません。

 どうぞ、内外の立場は問いませんから、斬新なご意見を寄せていた

だきたいと思います。

 さて、今日は、私が気が付いたことをそのまま簡単に書いてみまし

た。

 明日はまた、気合を入れて書きたいと思います。

 お楽しみに?(笑)



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ずくなしの花(タニウツギ)


0611ずくなしアップ

 この土日、妙高に行ってきました。

 上越から妙高に入って行くと、道の両側にところどころ、枝にピンク

や白が混じったような小さな花がびっしりと着いて、花房のようになっ

て咲いている、丈の低い木が木叢を(こむら:木が群がり茂ったところ)

作ったところがあります。

 山中に楚々(そそ)として咲いている風情はいかにも純朴で、一枝折

って家に持ち帰って花瓶に挿しておきたくなります。

 この花の名は、「ずくなしの花」といいます。

 ところで、「ずくなし」とはどういう意味でしょう?

 「ずくなし」は方言ではないようです。

 広辞苑を引くと、【ずくなし:役に立たない者。怠け者。不精者。】と出

ています。

 しかし昔は、この言葉は、甲斐性がないという意味にも使っていまし

た。

 例えば、「オレが ずく が無いから家族にうまいもんのひとつも食べ

させてやれない」、「あんな ずく の無い男だとは思わなかった」など

です。

 でも、そんな「ずく無し」と「ずくなしの花」はどんな関連があるので

しょう?

 ここからの解説は広辞苑にも書いてありませんから、私がします。

 先程も書いたように、この「ずくなしの花」には独特の風情がありま

すから、つい切り花のようにして家の花瓶などに挿して飾りたいと思う

のですが、そうするとたちまち枯れてしまうのだそうです。

 その理由は、茎が水を上げられないためだそうです。

 つまり、水を上げる能力がないのです。

 そのほかの色々な草木にある能力が「ずくなし」にはないのです。

 だから、「ずく無し」なのです。

 私はこのような話を聞いた時に、この「ずくなしの花」が愛おしく、ゆ

かしく思えたので、園芸屋さんに頼んですぐさま取り寄せて、私の庭

に植えました。

 今では、わが家の塀を乗り越えるようにして、毎年初夏の今頃に花

を咲かせてくれます。(末尾の写真をご覧ください)

 もとは山間に咲いている花なのに、私はこれを平場の私の庭で毎年

観賞しています。

 「庭木」としては位置づけられないので、市街地の個人の庭で植えて

いる人はまずいないでしょう。

 まるで、遠い山間地から、私が自分だけの欲望で拉致してきたみた

いです。

 私は「人さらい」ならぬ「花さらい」になったような気分で、今日も眺め

ています(笑)


0611ずくなし2


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常陽会ヘルパー2級講座 今年第1回 昨日開講


0607ヘルパー講座


 常陽会のヘルパー2級講座については、4月16日のブログでそのあ

らましをご紹介してあります。

 今回からは、JRの最寄り駅まで送迎をすることになりました。

 それを必要とされる方々からは大変喜ばれています。

 ともかく、これからは、介護の働き手が足りなくなります。

 前回のブログでも書きましたが、私たちの常陽会でもわずか10年間

のうちに約100倍(5人から500人へ)の職員増となっています。

 「介護」の本番は「団塊世代」が75歳になる10年後から「始まる」の

です。

 今はまだ、その序盤でしかありません。

 私は、「日本の介護」は2000年から始まったと言っています。

 そして、高齢者人口は今後33年に渡って右肩上がりに増加していき

ます。

 33年後に増加が止まっても、高齢者が総人口に占める「割合」は、

その後もさらに増加していくのです。

 さらに、「介護」が社会に「普及」する度合は、2000年当時は「点」で

したが、その後「線」になり、今は「面」になろうとしています。

 「面」になるというのは、社会全体が、街全体が、介護対象になるこ

とです。

 童話に「お菓子の国」があれば、それは街中が、お菓子でできてい

る国のお話しでしょう。

 「おもちゃの国」と言えば、街中が、おもちゃでできている国のことで

しょう。

 介護が「面」になるということは、街中が、高齢者の介護の国になる

ということです。

 その時は、高齢者の介護をするのはやはり、高齢者ということにな

るのではないでしょうか。

 介護の先進国、北欧などでは、介護施設で働く元気な高齢者をよく

見かけました。

 常陽会のヘルパー講座にも、50代、60代の方々からどんどん来て

ほしいと思います。

 そして、介護の仕事をするきっかけを作ってほしいと思います。

 常陽会は全力でお手伝いさせていただきます。



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新じゃが “おいしい食べ方”

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 今、畑では、じゃがいもの花が盛りです。

 じゃがいもの花は、目立たないせいか、あまり話題にはなりません

が、しっかり者の娘といった感じで、清楚で無垢(むく:けがれがなく純

真なこと)な花房です。

 でもこれが、広い畑に集団で咲くと、壮観な見応えがあります。

 そこで昨日は、そんなじゃがいもの花を撮りたいと、畑道を車で走っ

て探したのですが、なかなか良い場所がありません。

 昔はこの辺りは、じゃがいもの産地だったのですが、今は、農家が

少なくなって、農業と呼べるほどの作物づくりではなくなっています。

 そのため、まず、じゃがいもの「作り」が悪いのです。昔に比べたら

「良いでき」のものはありません。そして、大きな畑でもありません。

 お年寄りの人たちが、わが家で食べる分を作っているだけのようで
 
す。

 だから、「できの良い」立派なじゃがいもの「木」と花を撮ろうとアチコ

チ探したのですが、仕方なしに、そこそこのものを撮って来ました。

 新じゃががとれると、旧じゃが(昨年とって一冬保存していたもの)と

は、比べものにならないくらい、おいしかったものでした。

 まず、皮を包丁で剥いたりしません。少し背の高い桶に水とじゃがい

もを入れて、洗濯板のような板で、桶の中でゴシゴシと、いもといもが

ぶつかって皮が剥けるように、半円を描くように回したり戻したりして

洗います。

 すると表面の渋皮だけがペロリと取れて、ツルツルのいもの美しい

肌が表れます。

 これを大なべに煮て、その後に水を切って、また火にかけて水分を

抜いて、カラカラのポクポクにします。

 これに合うじゃがいもは、決して大きないもではなく、小さなゴルフボ

ールくらいの大きさのいもの方が適しています。

 つまり、「クズいも」でも良いのです。新じゃがの時には「クズいも」で

も、いや「クズいも」の方がおいしいのです。
 
 調理というものでもなく、当時は塩を振っただけのものでした。

 今だったら、マヨネーズだのバターだのそれ相応のドレッシングなど

で食べたらおいしいでしょう。

 家庭にお菓子など無かった時代、子供ごころにとてもおいしく、ご飯

前に食べると新じゃがだけでおなかいっぱいになってしまい、夕食が

食べられなくなったほどでした。

 現在では、もう、こんな新じゃがの食べ方は忘れられたようです。

 それこそ「昔 操(と)った杵柄(きねづか)」でご入居様、ご利用者様と

「いも祭」でも開催したら、「すばらしい!」とみなさんから称賛されるよ

うな気がします。

 ところで新潟の人はおいしいものがたくさんあって、恵まれています

よね。

 おいしい新じゃががあれば、これだけでご飯なんかいらないと言う

し、おいしいコシヒカリご飯があれば、これだけでおかずはいらないと

言うし、じゃあ、両方あったらどっちを食べようかと悩んでしまっ

て・・・?

 でも両方とも食べますよね、新潟のみなさんは食欲旺盛だか

ら・・・(笑)



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薬師寺東塔(とうとう) ・・・会津八一歌碑


あまつ
あまつ歌碑


       すゐえんの あまつをとめか ころもての
                ひまにも すめる あきのそらかな
                                    八一

 
 会津八一は新潟が生んだ特級の歌人です。

 新潟の人はもっともっと誇ってよい人です。

 すべて、旧かなづかいで書かれているのが特徴です。

 旧かなで習わなかった、戦後生まれの私などには読むのに難渋(な

んじゅう:すらすらと事が進まないこと)します。

 でも、読み終えて理解を得た時には感動と喜びがひときわ広がりま

す。

 上記「すゐえん」の歌は有名な一首です。

 私は最初にどこで見たのでしょう。

 歌碑ではなくて、拓本(たくほん)かなにかだと思います。

 たどたどしく文字をたどってようやく読めて、最後にどんでん返しの

ように、パッと情景が広がった時には、なんとも言えない大きな感動が

体を走ったことを覚えています。

 さて、私がこの歌を最初に読んだ時の様子はこんな風でした。

-----------------------------------

   「すゐえんの」 ナンダコレハ?

   「あまつおとめが」 アア、天津乙女カ、天女ノコトダナ
 
   「ころもでの」 ころもでの・・・「衣手の」ダ、ア、ソーカ「すゐえん」
   
   ハ「水煙」ダ、塔の先端に立っているあの「水煙」だ

あまつ水煙
あまつ東塔


   「水煙の」「天津乙女が」「衣手の」 ソレカラ、

   「ひまにもすめる」・・・コレハ、隙(ひま:すき間)にも澄めるだな

    と、すると「水煙の天津乙女が衣手の隙にも澄める」・・・

   ソレガドウシタ?大キクデタナ、ワカッタ、ワカッタ

   「あきのそらかな」ハ「秋の空かな」ダ、 エッ、キターッ!

  この時、私の目の前には、天女の衣手の隙間(すきま)をズームレ
  
 ンズのように通りぬけて、真っ青な秋の空がぱあーっと広がります。

  その衝撃で私は難解な暗い迷路をようやくに通り抜け、眩しい日
 
 の光にさらされた出口に立ったような、喜びと感動にしびれ、そのあ

 と、えも言われぬ恍惚感に浸ります。(落差の大きい、見事な「起承
 
 転結」なのです)

-----------------------------------

 と、このようにして「解読」した経験から、私は一生この歌を忘れられ

ないのです。

 この感動の戦慄は、一生忘れられない男性を知った時の女心に通

じるものでしょうか(笑)



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薬師寺東塔(とうとう) 解体修理 
               -木を買わず山を買え



 最近のマスコミ報道によると、奈良 薬師寺東塔の「解体修理」につ

いて、いろいろ書かれていますが、薬師寺東塔の端麗な姿はつとに

有名ですから、奈良の寺社めぐりの旅などでは、法隆寺と並び必ず訪

れるポイントに入っています。

photo_garan_toto.jpg


 約1300年前、奈良時代に建てられたもので、歴史的に奈良は南都

と呼ばれ、度々の戦禍に遭遇してきました。

 京の都の戦禍のとばっちりをいつも受けてきました。

 その場面は、NHK大河ドラマ平清盛にもきっと出てくるでしょう。

 現に、当時は西塔(さいとう)もあったのですが、戦火で焼かれてい

ます。(ただし、これは昭和55年に再建されています)

 以降、薬師寺に行くと、いぶし銀のような気品の東塔と、けばっぽい

とも見える朱塗りの新しい西塔が比べて見られました。

 「解体修理」の報で私が興味に思ったのは、塔の心柱(しんばしら)

がどうなっているかということです。

 塔の中心に立って塔を支える中心になるのは、心柱と呼ばれる一

本の背の高い檜の大木が使われているというのです。

 心柱になるような檜の大木などは、もう日本にはなくて、西塔の心柱

は台湾から持ってきたと聞きました。

 東塔の心柱は、現在あるものをそのまま残すものと思われます。

 というのは、檜は例えば台湾では樹齢が2300年~2500年もあっ

て、根本の直径は4.5mもあるそうです。

 塔の心柱ともなれば、長さ10m以上はあるのではないでしょうか。

 檜は硬さ、香り、耐用年数などなど、どの木よりも優れているそうで

す。

 まさに「木の王様」といったところでしょうか。

 ところで、寺院を建てる時など、大量に木材を使いますが、その時、

「宮大工の口伝(くでん:言い伝え)」というのがあって、それは『木を買

わず、山を買う』というものです。

 一つの堂、塔を造る時には、個々には木を選ばずに一山の木をもっ

て、建築せよということだそうです。

 木曽とか吉野とか、有名産地でも「質」が違うそうです。

 同じところで育った木であれば、「くせ」はあっても、質は同じで、

「力」はおよそ揃っているのだそうです。

 一つの山の力を結集させた方がより強固な建造物ができるというこ

とでしょうか。

 いわゆるひとつのチームワークを結集して、良い仕事を成し遂げる

ということですね。

 ひるがえって言うと、常陽会は介護の部門ではある程度たくさんの

施設、事業所を持っていますが、一人のご利用者様を最初の段階か

ら最後の看取りまで、ご利用者様も常陽会も、なんの戸惑いもなく、一

生のお世話ができたら素晴らしいことだと思います。

 まさに、「一山の力」をもって、「お客様」の一生に奉仕するということ

ですね。



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「クールビズ」を 斬る


 今日は、少しこだわったような発言をしましょう。

 変わり者だと思われるでしょうか(笑)

 私は、クールビズという言葉も、クールビズと言って(代表的な行動

として)ネクタイを「喜んで」?はずすようなことも嫌いです。

 まず、例えば、オフィシャルなスタイルとしてネクタイが「要求」される

のなら、夏でも冬でも同じことだと思うのです。

 もともとオフィシャルなスタイルというのは、決して「くだけた」もので

はない、「硬い」ものだとするならば、それは、その場がオフィシャルな

ものであれば、「硬い」ものであるべきです。

 たとえば、その一つの例としても、ネクタイは、はずすべきではあり

ません。

 そもそも「クールビズ」とは、英語のようですが、どんな英語から来て

いるのでしょうか。

 それは、実は英語なんかではなくて、日本特有の造語だというでは

ありませんか。

 すなわち、クール(cool)とビズ(biz:business)を日本人が掛け合わ

せて造語したもので、本来の英語とか、英語圏の言葉とは無縁の表

現なのでしょう。

 ネクタイ(necktie)やオフィシャル(official)は、英語圏からきているも

ので、これを尊重して、日本人は先進国の習慣として受け入れている

ものでしょう。

 英語圏の、先進国の習慣を受け入れているのならば、最後までそれ

に習えと言いたいのです。

されば、「クールビズ」だなんて「勝手な」表現で「勝手に」服装を「崩す

な」と言いたいのです。

 私は、夏は暑くともスーツを脱ぎません。

 ネクタイもはずしません。

 よく他人から言われます、「暑くありませんか?」と。

 私は答えます、「暑いです、でもガマンしています」と。

 簡単に「妥協」や、「馴れ合い」をせずに、節を守ることは大切なこと

です。

 ・・・・・と、ここまでくると、夏目漱石の「意地を通せば窮屈だ」という言

葉が思い起こされます。

 夏目漱石に先回りされていた気分になりますね(笑)


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   ところで、英語の表現には、日本語的に意外なものがあります

   よね。

   クール(cool)は日本語での理解の「涼しい」「冷たい」の他に、

  「スマートな」とか、「気の利いた」という意味が英語にはあります。

   また、この話題に直接は関係ありませんが、狐(fox)は日本で

   は「ズル賢い」動物と思われていますが、英語では「賢い」動物

   とされ、人物を評する時にも、 「狐のような」というと、「頭の良い

   賢い人」と形容されるのが慣例です。
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 今日は「クールビズを斬る」なんて大仰(おおぎょう:おおげさ)に書き

たてましたが、実は、私が夏でも上着を脱がない、もうひとつの理由

は、ハンドバッグを持たない私が、上着を脱いで、それをどこかに置い

たりすると、ポケットに入れてある、サイフ、手帳、名刺入れ、小銭入

れなどの小物を落としてしまうかもしれないと思うことと、置いた所が

何かで汚れていたりすると、上着が汚れてしまうことがあるかもしれな

いと思うことで、すなわち、それらを避けるということもあります。

 まあ、こうしてみると私はここで言うほど英語圏的でも、「紳士的」で

もないのですね(笑)



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「ご家族のサポートをプロの手で」
              (2003年当時のフレーズ)
 
 

 今、介護をとりまく情勢が、多様化してきています。

 私が福祉法人を立ち上げて、福祉、介護の世界に入ったのは1999

年の頃でした。

 当時はまだ、「措置」の時代でした。

   ※「措置」の意味については私の書いた「鶏鳴(理事長の理念)」

    の中の「実は劣悪であった、措置制度のもとでの公的サービ

    ス?」
に詳しく書いてあります。

    また、今、広辞苑を引くと「措置」(とりはからって始末をつけるこ

    と)とありますから、「措置制度」が対象者(高齢者)にとって良

    いものであったはずはありません。

 介護保険が始まったのは2000年です。

 これをもって、「措置」の時代は終わり、新しく開かれた「契約」の時

代、「競争」の時代へと介護の環境は変わりました。

 私は、この2000年を「介護元年」と位置付け、その揺籃(ようらん:物

事の発達の初めの時代)の出発期を日本の歴史に例えて、「明治元

年」と呼びました。

 「ご家族のサポートをプロの手で」というフレーズは、2003年ころ、私

が新潟駅前に「高齢者全対応型マンション」と銘打って、地上13階建

て、一部分譲、一部賃貸の、高齢者だけのマンションを建てた時に使

った広告フレーズです。

 時代の進んだ今となっては、なんとなく違和感のあるフレーズになり

ました。

 まさに「明治3年」の感覚です。

 以前、このブログにも書きましたが、当時はまだ介護保険が始まっ

たばかりで、介護保険のしっかりした足取りが確実な視野の中にあり

ませんでした。

 オピニオンリーダー的な人たちでさえ、先を探るような内容の本を出

しています。(5月10日のブログで、舛添要一氏、池田武史氏の著書

を紹介しています)

 当時としては、私もまた、これからは介護保険が正しく発展して、「家

族介護」から「プロの手介護」に移るのですから、早く私が建てたマン

ションに入居したり、利用してください、という意味でその当時の広告

フレーズとして、「ご家族のサポートをプロの手で」と言って勧めていた

ものです。

 今日ではほとんどの方々から「プロの手介護」が理解されてきて、私

のような者がことさら声高に言わなくとも、「プロの手介護」が十分評

価されていると思っています。

 しかし、まだ残念なのは、時折、新聞などで高齢者の孤独死などが

報じられることがあることです。

 人を呼ぶことができないまま死を迎えるということは、その人が要介

護、要支援者であるか、それに近い体調にある人だと思います。

 介護が「点」から「線」、そして、「面」に進展している現在、すべての

高齢期にある人々を「介護ネットワーク」「高齢者ネットワーク」として、

デジタルで把握できないものかと思います。

 常陽会は、なるべく早い時期にこの「ネットワーク」を立ち上げたいと

思っています。

 とても意義のある仕事ですから、職員の中で我こそはと手を上げる

人があればやってもらいたいと期待します。



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