これからの介護は認知症対応型に集中。
             高齢者は誰でも認知症?



    「冷蔵庫あけてしばらく中を見る
         取り出す物を思い出すため」


 このような短歌が先日の新聞投稿歌壇に載っていました。
 一般論的に言っても高齢者の誰もが認知症と無縁ではいられません。同じ日の新聞に65歳に達した人の10人に1人は認知症であると出ていました。
 10人に1人と言っても、10人に1人だけがはっきりした認知症であって、他の人はすべて正常というわけではなく、もう2人、3人はこれもすでに認知症に近づいているわけで、いつ認知症になってもおかしくはないのです。
 冒頭の短歌の作者も物忘れがだんだん強くなって、ついにかなり意識するようになったのでしょう。
 <むろん、単なる物忘れと認知症とは区別しなければなりませんが、ここでは私ごとのことを揶揄(やゆ)する気持ちも出して論を広げていくことにします。>
 まだ、こんな確かな短歌が、ある時はできたとしても、日常では、もう認知症を気にしないわけにはいかないということでしょう。
 自分自身に焦りを感じたり、諦めを感じたりしている様子がこの作品からうかがえます。
 何年後には何人に1人が75歳以上になるのだの、何年後には認知症が何百万人になるだのという数字のことより、もう今の自分が認知症に染まりつつあるのだと65歳くらいの年齢になれば、誰もが認知症を意識し始めます。
 かくいう私などもいわゆる「戦後生まれの団塊の世代」という65歳の「高齢者」になっていることに時々気づかされることがあります。
 例えば、先日も事務所内で携帯電話を置き忘れてしまって、誰か他のスタッフから私の携帯に電話をかけてもらって、その着信音で探したりしました。
 老眼鏡をかけていながら老眼鏡がどこかに忘れたと言って、探している高齢者は、よくいるということです。
 常陽会でも認知症対応の特別のカリキュラムを作る必要が生じています。
 認知症デイサービスに特化させたスタッフや設備や提供するサービスの質を早急に見直して、それこそ行列のできる認知症対応デイサービスセンターに作り変えていきたいと思っています。
 スタッフのみなさんからもアイデアを募集していきたいと思っています。


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常陽会 ネームプレート革命
  顔写真はすべて「破顔一笑」「満面の笑み」に。


                      *「破顔一笑」(はがんいっしょう:顔をほころばせて笑うこと)


 先日、11月27日付ブログで書いたように、私が日本一、世界一の接客サービスのレベルにあると評価している、国内A航空会社のスタッフのネームプレートの写真が「指名手配」風、「運転免許証」風から、「破顔一笑」「満面の笑み」の写真に変わっていたと書きました。(あるいは、私が当日訪れた部署だけだったかも知れませんが、もしそうであったとしても私の言わんとしていることに変わりはありません)
 そこで、わが常陽会においてもさっそく、早い時期に、順次 職員ネームプレートをこの「破顔一笑」「満面の笑み」版に変えていきたいと思います。
 これを単に理事長の私の「思いつき」と笑うことなかれです。
    1129理事長ブログ暗い
      「かしこまった」ような 笑顔のない写真のネームプレート

    1129理事長ブログ明るい
      「破顔一笑」「満面の笑み」の写真のネームプレート

 実は私は、株式会社北越農林を昭和55年に興し、その会社の社長としてお米の販売をしてきました。
 その実態は電話などによる通信販売でしたから、一時的には名簿登録された顧客の数は数万世帯にのぼりました。
 その頃、私は、当社社員が一度も顔を見せることのないお客様に対する一つの礼儀として、社員が電話に出るときのパターンとして、朝なら「おはようございます。北越農林〇〇でございます。」と会社名の次に自分の名字を名乗らせました。(朝でない時は、「毎度ありがとうございます。北越農林〇〇でございす。」となります)
 このスタイルは当時、新潟では最初でしたし、きっと日本でも最初だったと思います。なぜなら、他には聞いたことがなかったからです。
 それが、当初は、私の会社と取引のある会社から、よいこととして参考にされたのでしょうか。だんだん普及し、広がっていきました。
 それがどうでしょう。
 今では、たいていの会社がこのような電話のスタイルになっています。
何を隠しましょう、その初頭は当社にあったのです。
 そのような経験から、私はこの常陽会の「ネームプレート革命」もひとつの改革として、今に日本中に普及するだろうと思います。
 ともかく、常陽会は早い時期にこのように改めたいと思います。
 どうぞ、よろしく。 


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複合施設 ソフィア関屋(仮称)の
           準備室の開設は12月1日から


1113理事長ブログ
 ※ ソフィア関屋(仮称)の完成予想図です(色調は変わります)


 かねてこのブログで紹介してきたとおり、ソフィア関屋(仮称)の準備を進めていきたいと思います。
 そこでまず現地、JR関屋駅前の近接地に現地事務所を12月1日から開設します。
 ここを拠点にして施設の運営の概要をつくっていきたいと思います。
 そのために主だったスタッフを採用していきたいと思っています。今のところ、主要メンバー数人の内 二人ほどの参加を決めていますが、まだまだスタッフを採用していきたいと予定しています。
 この具体的なスタッフは、今月の11月13日のブログに書いたとおりです。
 準備事務所をオープンしたらもっと具体的なスタッフ募集をしたいと思っています。
 ぜひ常陽会の内外から、自薦、他薦のアピールを待っています。
 意のある人は 是非このブログなどでお知らせしてくれることを望んでいます。


【参考】11月13日付 理事長ブログ
  『スタッフ大募集!JR関屋駅前 複合型施設 ソフィア関屋(仮称)』




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やっぱり「サービス業№1」は国内 A航空会社


 以前このブログで、サービス業で接客レベルが一番優れているのはA航空会社だと書きましたが、昨日、またこの感を強くしました。
 実は、私は22日の日から別の業界の団体旅行で海外に行っていました。
 昨日、夕刻に成田空港に着きました。
 ところが、私の旅行用の丈夫であるはずのスーツケースに大きな窪みが発見されました。
 たまにはあることのようですが、航空荷物の持ち運びの間に、どこかにぶつけてしまったらしく、スーツケースの角がへこんでいました。当然、それを航空会社に申告に行きました。
 利用航空会社はA航空でしたので、そのカウンターに行きました。そこで思わずあっと驚いたことがありました。
 それは、そのカウンターには係員の人の顔写真の入った受付スタッフのネームプレートが出ていました。
 そこに待っていた係員2人の女性スタッフの写真の顔が「破顔一笑(はがんいっしょう:顔をほころばせて笑うこと)」というか大きな笑顔の写真だったのです。
 今では、どこでもスタッフの人の顔写真つきのネームプレートはよく見かけますが、それがこんなにも「満面の笑顔」の写真ではありません。
 多くは、まるで指名手配の写真のような、または運転免許証てきな写真のような、良く言えば「かしこまって」、悪く言えば「物件説明」のような愛想の無い写真が普通です。
 やっぱり、人の写真は笑顔が最高なのに、今までこんな写真には出合ったことはありませんでした。
 よいサービスは必ず真似をされて普及しますから、これからネームプレートの写真は遠からず、このA航空のような「破顔一笑」「満面の笑み」の写真になるだろうなあと思いました。
 常陽会もさっそくこれを見習いたいと思いました。

(このネームプレートの写真を私のカメラで撮ってブログに載せようと思い聞いたところ、そこでは写真が撮れない場所だというので、写真は撮れませんでした。)


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本日、都合によりブログ休みます


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常陽会 各部の活性化のために
               人材抜てき登用します。

   いざ、このブログにコメントを寄せてください。


  常陽会では、介護を必要とされる高齢者が増加している事態をふまえて、そして、新潟市の公募に応じる形で事業を増やしています。
 例えば、昨年は、きなせや黒埼・オードヴィー黒埼。
 今年は、きなせや小新・オードヴィー小新と、きなせや寺山・オードヴィー寺山。
 来年は、ソフィア関屋(仮称)の名称のもと、地域密着型特養(29人)、複合型サービス<小規模多機能型居宅介護(25人)、訪問看護>、ショートステイ(29人)、サービス付き高齢者向け住宅(16室)というように、毎年新潟市の公募に応じる形で事業を拡大しています。
 これは年々、介護を必要とされる高齢者の需要に応えるためです。
 そのため、常陽会内部に人材が不足しています。
 特に来年10月頃のオープン予定のソフィア関屋(仮称)には、スタッフ50人~60人程度が必要と思われます。
 年々の法人の「成長」に合わせて、常陽会スタッフの「成長」を期待せざるを得ません。
 どうぞ、現在のスタッフのみなさんから、もう一段アップしたスキルを持って欲しいと願っています。
 自薦他薦を問いませんが、もう一段アップの仕事を希望する人は、手をあげて挑んでください。
 人は誰でも向上心を持たないわけにはいきません。
 昨日の自分より、今日は、明日はと向上しなければなりません。
 どうぞスキルアップに挑戦してみて下さい。
 そして、このブログでコメントを寄せてください。
 理事長としてそれを願っています。



※ 次回のブログは11月26日(月曜日)から始めます


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世界物語28 北朝鮮(Ⅺ)青少年宮殿とは?
         こども学芸団は国家プロジェクト?



 北朝鮮の記事が続いていますが、みなさん飽きてこられたでしょうか?
 最初、北朝鮮のことがおもしろいと言われたので、つい図にのって?書き続けてしまったのです。
 これがまた、たくさん話の材料があったわけです。
 今日は表題のような話をしたいと思います。
 まず、ピョンヤンの地図を見ると青少年宮殿という日本では聞きなれない建物の名前があります。
 青少年宮殿とは、青少年センターということで、青少年たちの集会やクラブ活動の場になっているところのようです。
 私たちは、例のごとく北朝鮮の旅行社?に案内されて、大きな劇場のような所に行きました。
 新潟にしたら、県民会館のような規模のところです。
 そこで3時間くらい子供たちの演芸をたっぷり見せられました。
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 北朝鮮は、またマスゲームの国でもありますので、団体的な演芸は得意の分野なのだなと思いました。
 写真で見られるように、どの子も生き生きとして演技しています。
 きっとこの裏には、厳しい練習があったのだろうと推測されました。



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世界物語27 北朝鮮(Ⅹ)鉄道事情
      改札なく、ホームまで車の乗り入れ可



 北朝鮮の鉄道には、日本のような改札口はありません。
 切符は行き先別に売っているということですが、列車に乗る時に改札口で駅員さんが切符にハサミを入れるということはありません。
 すぐさまホームに進んで列車に乗り込みます。
 このような乗り方はヨーロッパの諸国にもあります。例えば、フランスでもドイツでも同じです。
 ただ北朝鮮が大いに違っている点は、ホームに車のまま、あるいは観光バスまま乗り入れることです。
 私たちの乗ったバスもホームまで乗り入れ、列車に横付けされました。
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 私たちは外国人なので、特別扱いかと思いましたら、他にも乗用車のまま乗り入れている人がいました。
 これはこの国の制度なのだなと思った次第です。

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ソフィア関屋(仮称)における
          私の「新しい介護理念」とは?



  「新しい」ということは、「古い」ものがあって、それに比較しているということです。
 それでは「介護理念」と特定とした上で「古い」というものは、私論的にも一般論的にも、それは措置の時代の介護を指すとしてよいでしょう。
 この対比は、「古と新」「暗と明」「封建制と民主制」「需要者主体と供給者主体」の違いがあるということです。
 「需要者」とは、介護サービスのご利用者、すなわちお客様のことです。
 措置の時代が終わった2000年から今日まで、介護業界では、一途にお客様主体、お客様本位の介護を提供すべく努力が続けられてきたとしてよいでしょう。
 しかし私の「新しい介護理念」とは、今日までの介護サービスの進展を措置の時代からの「離陸」の「助走」であったと位置づけた上で、さらに安定した「お客様対応」の「安定飛行」を求めて、それを実現し、確立したいとするものです。
 常にお客様が主体となり、心おきなく、「必要な介護を必要なだけ」「適切な介護を適切に」受けられるとするというものです。
 このようなことは、現行の介護保険のもとで、また、現行の人員体制のもとでは、当然に「限度」があるものになるでしょう。
 でもその「限度」を超えるレベルのものは、その次のステップとして、区切ることは可能でしょう。
 高齢者介護が社会福祉としての「措置」から、だれもが受けられる「介護サービス」として、今がその第二段階にきたと考え、私は今、新たに「お客様満足」の介護を求めていきたいと思っています。
 ソフィア関屋(仮称)では、小規模多機能型居宅介護が「複合型サービス」として訪問看護が合わせて提供されますので、介護事業者にとって看護を直接的に手がけることになり、新分野を切り開くものとなります。
 そのことによってまさに、「必要の介護を必要なだけ」「適切な介護を適切に」というレベルが目指せると思っています。

 ※「措置の時代」については常陽会ホームページ、拙書「鶏鳴」記載の「設立の趣旨」(実は劣悪であった措置時代のもとでの公的サービス?)をご参照ください。その当時の時代の私の「理解」が書かれています。



  
  『設立の趣旨』(実は劣悪であった、措置制度のもとでの公的サービス?)
   http://www.jyouyoukai.or.jp/keimei/keimei22.html






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本日、ブログ休みます

 11月19日(月曜日)から再開します。



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スタッフ大募集! JR関屋駅前 複合型施設
              ソフィア関屋(仮称)


1113理事長ブログ
 ※ ソフィア関屋(仮称)の完成予想図です(色調は変わります)


  すでにお知らせしてあるとおり、今年度事業として新潟市から採択されています複合型施設が現在設計段階に入っています。
 鉄筋コンクリート造りで、5階建で、各階は下の図のようなものになります。
   1113理事長ブログ2
 順調にいけば、来年10月頃のオープンとなるでしょう。
 それに伴って、スタッフの構成は60人くらいになるでしょう。
 12月から準備室を開設して、中心となるスタッフの採用を始めます。
    ・ 施設全体 施設長 管理栄養士
    ・ 小規模多機能居宅介護 管理者、ケアマネ
    ・ 訪問看護 主任看護師
    ・ 特別養護老人ホーム 主任介護員 ケアマネ
    ・ ショートステイ 主任介護員、主任生活相談員
 順次採用を始めていますので、新しい施設で新しい介護理念のもとで、チャーターメンバーとして参加したいと思う人は、奮って応募してください。
 どうぞ、このブログから理事長にお気軽にコメントを入れてください。



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世界物語26 北朝鮮(Ⅸ)
   未完の大器?それとも世界最大のガラクタ?
     世界一を目ざした柳京ホテルの悲劇?


 ピョンヤンの街はどの方向にカメラを向けてもサマになる写真が撮れると、以前ここに書きましたが、その景観の主体となっている建物が柳京(りゅうけい)ホテルです。
     理事長ブログ
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      私が行った当時の写真です(遠くに見える三角形の建物が柳京ホテルです)
 ピョンヤンの街のどこに立っても、高さ330mを目ざしているというこの建物は見えます。三角形をした独特の形状ですから、その存在感は抜群です。
 建物としては当時、世界にいくつもない、まるでニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングにも匹敵する建物と思われました。
 ところが、この建物はまだ未完成で、かなり長期にわたって「放置」されているといいます。
 その証拠に、三角形のビルの頂上には、まだ大型のクレーンが乗ったままです。
 完成の見込みはまったくたっていないとのことでした。そのうちコンクリートが腐って?しまうという人もいました。

 その後どうなったのかと思い、ネットで調べてみました。
 その結果は、およそ次のとおりです。
 長くなるので、後は、その記事を引用します。

※Wikipediaより引用 「柳京ホテル」 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%AC%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB)> 
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   2007年頃までの様子

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   建設が再開された2011年頃の様子



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世界物語25 北朝鮮(Ⅷ)
    若い女性の羨望の的・・・日本製パンスト

                               羨望(せんぼう:うらやましく思うこと)


 ピョンヤンでは外国人の賓客が泊まるホテルは、市の中心部、ピョンヤン駅の近くにある高麗ホテルと決まっているそうです。
 高麗は、コリョと発音すると聞きました。
 日本にしたら、帝国ホテルのような所なのだと思いました。大きな高層ホテルです。
当然いろいろなレセプションにも使われているようです。
 レセプション会場やレストランには、超美人のコンパニオンやホテルホステスが均整のとれた姿でズラッと並んでいます。
 ところが、その足元を見るとミニスカートではありませんが、脚線美を思わせるそれなりの美脚が見えますが、でも、その美脚は、日本人のような透けたストッキングではありません。
 昔、「愛染かつら」という看護婦ものの人気映画がありましたが、その看護婦さんが(当然ナイロン素材のストッキングが出回る前の女性たちは全員そうでしたが)はいていた、白い薄地の布製のストッキングなのです。
 まだ、この国には、日本だったらどこにでも売っているし、誰でも買えているパンストが無いのです。
 だから、一流の高麗ホテルで、しかも接客として働いている美人コンパニオンやホステスでもそんな「気のきかない」布製のストッキングなのです。
 ところで、そのようなストッキングのニュースが私たちのグループの一部の人に入っていたのでしょうか。
 気軽な日本からのお土産として、パンストを持って行って、このような女性にくれた人がいたようです。
 もちろん大変喜ばれたらしいのですが、翌日、そのストッキングをはいて来るわけでもなく、むしろ自分がもらったことさえも周囲の人には内緒にしているらしく、「昨日はありがとうございました」という普通なら、返ってくるような「お礼」の言葉は、誰からも聞かれなかったそうです。
 もちろん、お礼を言わせるためにあげたものではないでしょうが、日本人の感覚には少し奇異に感じたということです。
 実は、私はカメラを持って行ったので高麗ホテルも美人コンパニオンさんも各レセプションのホステスさんも写真に撮ってきたのですが、もうどこにしまったか忘れてしまい、今、このブログでお見せすることができません。
 ちょっと残念です。

 ※ でも、ホテル以外の場所で案内してくれた北朝鮮の女性の写真を
   掲載しておきます。(北朝鮮旅行会社販売のビデオから)

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世界物語24 北朝鮮(Ⅶ)
       お城風要塞?窓ひとつない建物


 ある時、わけありのような奇妙な建物に連れて行かれました。
 ピョンヤンからかなり離れた、新潟にしたら、村杉か出湯あたりでしょう。山間地に近いところです。
 バスから降り立つと、そこには立派な鉄筋コンクリート製のお城のような建物が建っていました。
 一見窓はあるように見えますが、すべて絵として描かれたものだと説明がありました。
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 その建物の入口は日本のお城の門のように重厚な鉄製の扉になっています。一人の大人が押してやっと開くほどです。中はもちろん窓ひとつなく、まるで要塞の中を歩くようなものです。
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 そして、広いいくつかの部屋には建国者 金日成が各国の大統領や首相、政治家、経済人、会社などから贈呈を受けたというおびただしい品が飾られてありました。
 例えば、ロールスロイスやベンツなどが何台もありました。
そのほか、宝石や飾り物、絵画などなどたくさんの品が陳列されていました。
日本からのもありました。ある政治家から贈られた博多人形もありました。
高名な作家の日本画もありました。新潟のある会社からとして大きな帆船の模型が展示されていました。
これらは、すべて建国者 金日成がもらったものだが、彼はそれを一つも自分用に使ったことが無い、すべてこのようにいただきものは飾っておいて、人々に公開して見せてあるのだと案内係の女性が誇らしげに言っていました。
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 さらにこの建物の裏の方には、テラス状の物見台のようなものがあって、ここに出ると裏の山側の方に展望が開け、紅葉の山々が眺められます。
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 実際、見事な紅葉が眺められました。このような山には、松茸も出るということも聞きました。
 しかしなんとも、不気味な感じのする建物でした。
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 また、同行の事情通の話しによると、このお城のような建物は、一朝有事の際には、要塞になって内部に政府要人が陣取って、戦闘の指揮をとる軍事要塞なのだと言っていました。
 これも聞けば、さもありなんと納得するようなものでした。


 【23年前の私です】
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世界物語23 北朝鮮(Ⅵ)
   英語は敵性語?でも小学生にも英語教育。


 国と国とが戦争状態になったりすると、相手方の国のことを悪く言います。
 日本も第二次世界大戦(太平洋戦争)の頃には、アメリカ、イギリスは戦争相手国ですから、「鬼畜米英」などと言っていたようです。
 さらに敵対国の言葉は「敵性語」として、使ってはならないとしたこともあったようです。
 例えば、有名な話ですが野球では、審判がコールする時ストライクを「よし」と言い、ボールを「ダメ」と言っていたとよく聞きました。
 私たちが北朝鮮に行った23年前の時は、正に北朝鮮にとってアメリカは朝鮮戦争以来の「敵対国」でした。
 さぞや「反米」の気運は勇ましかろうと思っていましたが、そのような気持ちはある場面を見た時、吹っ飛んでしまいました。
 その場面とは、次のようなことです。
 私たちの北朝鮮でのプログラムは、すべて北朝鮮側の旅行会社?の案内によるものでしたが、ある時、学校の授業風景を見に市内の小学校へ行きました。
 そこで見たものは、なんと堂々とした英語の授業でした。敵国アメリカの言葉をはや小学生に教えているのです。
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          小学校の授業風景です
 私はこれを見てびっくりしましたが、でも、とっても感心しました。
 当時、北朝鮮にとってはアメリカは朝鮮戦争を戦ったにっくき敵国です。朝鮮戦争だって終戦したわけではなく、一応 休戦状態になっているだけですから、いつ再開してもかまわない状態と言ってよいのです。
 現に38度線を境に24時間銃をかまえて睨み合っているのですから。
 そんな状態でも北朝鮮国内の小学校では立派に英語の授業が行われているのです。
 「鬼畜米英」「敵性語」などと言って英語を排撃していた日本とは大違いです。この点では北朝鮮の政府のはからいにとても感心した次第でした。


  ※ 今、このブログを書くに当って、ネットで調べてみると日本でも、
   戦時中に必ずしもあらゆるところで英語を排していたわけでは
   なかったようだということがわかりました。


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世界物語22 北朝鮮(Ⅴ)
  デパートは非売品(飾り物)もあり、客が少ない


  観光プログラムの中で、日本人からしたらこれもどうかと思うものがデパート見学でした。
 お土産の買い物を促すという意味でもなかったようでした。
 むしろ、北朝鮮には、こんなに物資が豊かなんだよということをアピールするねらいだったのかとも思いました。
 私などは、旅行に行くと興味にまかせて、すたすたとあちこち見回って来ます。デパートでもさっさと上の階の売り場に行こうとします。
 するとエスカレーターが止まっているままです。
 かまわず私は階段のようにして上がって行こうとしますと、そこへ近くの売り子さんが駆け寄ってきて、エスカレーターのスイッチを入れます。
 するとガタガタ音を出しながらエスカレーターが動き始めます。そこで売り子さんは、「どうぞ」と言うように乗せてくれます。
 さて上階に行って、たまたま衣料品売り場に行って、下げてあるチマチョゴリを衝動的に買おうとすると、売り子さんが「これは売れません」と身振り手振りで制止します。
 私は「えっ、これは売り物ではないの?」と不思議に思いました。
 これについては、ずっと後年になって、大韓航空機事件の金賢姫(キムヒョンヒ)が北朝鮮のことを書いた本に、北朝鮮では、物資が充分ではなく、商店には、売れない飾りの非売品がよく揃えてあるのだと書いてある記事を読みましたが、この時のこともそんなものだったのかと思いました。

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          同行の人たちの買い物風景

 ともかく私は、せっかく案内されたのだからと生活用品の売り場で、昔、ロシアのフルシチョフがかぶっていたような毛皮のついた耳の部分を折り上げてある防寒帽子を当時小学生だった息子のために買いました。
 これは息子には不評で、かっこ悪いと思ったのか、一度もかぶったところを見たことがありませんでした。
 それに気が付いたことは、デパートには現地の人の買い物客はほとんどおらず、買い物袋を持った人など見かけなかったように思いました。
 でもこれだって、私の少年時代には、新潟のデパートでは、平日などやはり客はいませんでしたから、同じようなものかなと思いました。
 しかし、比較として考えれば新潟は地方都市のひとつでしかないけれど、ピョンヤンのデパートは、北朝鮮の首都にあるわけですから、やはり客は少なかったと思います。



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世界物語21 北朝鮮(Ⅳ)
  ピョンヤンの地下鉄はとっても豪奢(ごうしゃ)。
                   核シェルターにも?


 「日朝友好の翼」と銘うった北朝鮮旅行は、企画したのは日本の旅行社でしたが、北朝鮮国内の観光プログラムは北朝鮮の旅行社?が担当したようでした。
 というのは、観光プログラムの中に日本人なら想像しないような所が入っていたからです。
 それは、地下鉄見学やデパート見学などです。私は、なんで地下鉄やデパートなんか見せるんだいという気持ちがしました。
 ともかく連れられて行ってみると、この国ならではの「特徴」があって、日本人の私には「新発見」というべきものでした。
 ピョンヤンの地下鉄は、とっても地底に深いのです。
 上野駅の新幹線ホームは地下5階くらいあるといいますが、ピョンヤンの地下鉄はこの10倍くらいはあろうかと思うほどエスカレーターで一気に下がります。
地下鉄の駅のホームに至ると、そこは別天地のようになっていて、ある駅はホームの全体がシャンデリアで飾られて?あります。
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      シャンデリアの駅です
 またある駅は、壁がモザイク絵画で飾られて?あります。
電車がホームから出発すると、向こう側の壁に、かなりきれいで立派なモザイク壁画が現れるのです。
 きれいな花をあしらった風景画でした。
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      壁画の駅です 
 実際に地下鉄にも一駅乗せてもらいました。料金はどこまで行っても、日本円で5円くらいであったかと聞きました。
 ピョンヤンの地下鉄は単純です。
 それほど長くない直線一本だったかT字に交わっている2本かだと地図に出ていました。
 あまりに深いのと、立派な駅ホームなので、有事の時には地下核シェルターになるのではないかと同行の誰かが言っていましたが、そうかなと納得するくらいの感じがありました。




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世界物語⑳ 北朝鮮(Ⅲ)食料事情
       ピョンヤンで食べたお米は新潟産?


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 私たちは「日朝友好の翼」というコンセプトで北朝鮮入りをしました。
今から23年前のことです。
 各地各所で国賓級といいませんが、それなりの「歓迎」を受けました。
 毎日三食とも広いレセプション会場で、なかなか立派な食事をいただきました。
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 ただ出された食事は、とてもヘルシーなものでした。主体は野菜と魚です。漬けたものもあれば、乾燥させたものもあります。   
 肉類は最後の夕食の時に、こま切れの焼肉として一皿出ました。
 この時一緒に行った人の中で北朝鮮のことをよく知っている人がいました。
 その人が言うには、北朝鮮の一般の人たちは、一年のうちで肉を口にする日は、一日あるかないかですと言っていました。
 これは日本だって、私など田舎に育った者は、やはり少年時代はそんなものでしたから、自分なりに理解ができました。
 その時の北朝鮮は、私の少年時代、30年くらい前の状態なのだなと思いました。
 それから日本に帰ってくると、私が米屋をしていましたので、新潟在住の韓国人の人が、私に食事のことを聞いてきましたので、私は「お米はおいしくて新潟早生くらいの味でした」と言うと、その韓国の人は「志田さん、それはきっと新潟の新潟早生だったのではないですか?」と言います。
 私が怪訝(けげん)そうな顔をしていると続けて言います。
 「ほら新潟の港から北朝鮮の船が出ているでしょう。在日の北朝鮮の人たちが新潟のお米を買って、北朝鮮に送っているのですよ。だから、お客様としての日本人に、そのお米を出したのでしょう。お米屋の志田さんが新潟早生だと思えば、やっぱり、そのお米は新潟早生だと思いまよ」と言いました。
 私は商売がらお米を口にする時、そのお米がどんなお米か推測しながら食べる癖がついています。北朝鮮で食べたお米が、妙に新潟のお米に似ていたのを思い出しました。
 でも、ちょっぴり 北朝鮮で在日の北朝鮮の人が本国に送った新潟のお米を私たちが食べたとしたら、北朝鮮の人たちに申しわけないという気持ちが湧きました。


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世界物語⑲
  南太平洋 パラオの国旗は
      日の丸ならぬ「黄の丸」


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                        パラオの島々です

 私は5年ほど前にパラオに行きました。
 パラオに新潟から行く時は、新潟空港からグアム経由で行きます。
 常夏の国です。
 そこで驚いたことがあります。
パラオは第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本が敗戦するまで、日本統治下にありました。
 パラオの人々は年配者を見れば、皆 日本語が上手に話せます。
 ともかく親日的です。
 それは、日本の統治下にあったころ、日本人が大勢住んでいたし、日本が学校やその他インフラを「作ってくれた」ということで、今、日本人が旅行しても、とても好意的に接してくれます。
 日本に親しみと 感謝の気持ちさえ持っているような感じがあります。反日感情が近隣国にある中で、日本人として、とても嬉しいかぎりです。
 そこで現地ガイドさんが言うことには、この国が日本の敗戦後、自立した時に国旗を制定するに当って、日本に親しみをこめて、日本の国旗に近づけようとして、旗の中心部に日の丸ならぬ「黄の丸」を入れたということです。
 白地では、日本に似てしまうので青地にしたということです。
 さらに「黄の丸」も日本のように旗の中心では悪いので、少し中心からずらしたということです。
   理事長ブログ
      パラオの国旗です

 ところで、ちなみに日本人は、太陽を絵に描く時、赤い丸(円)にしますがアメリカ人や西洋人は、黄の丸(円)にするそうです。
 そんなふうに私は現地ガイドさんから聞いて、とても気を良くして、またパラオの人たちにもフレンドリーな気持ちで帰りました。
 ところが、今このブログを書くにあたって、サイトで確認しようとしたら、パラオの国旗には特にそのような意味あいは無いというようなことが書かれてありました。
 でも、それはいろいろ配慮するところがあって、そう書いてあるのであって、現地のパラオの人々の気持ちには、やはり強い親日感情があるのではないかと、パラオの人たちの私に接してくれた笑顔を思い浮かべながら思っています。
だって 日本人のことも日本の国旗も知っていて それに似せたものを作ったわけですから 反日であるわけはありませんよね。
 でもこれ身びい気というものでしょうか(笑)



大きな地図で表示  「B」はパラオの位置です





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