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奇跡 !? 奇跡 !? なんとご先祖さまをお迎えしたお盆の夜に ご利益が!!
~ 私のつらい筋肉痛がとれました! ~

※すべての写真は、クリックして大きく鮮明に見ることができます
私の家では、8月13日の夕方にお墓参りをします。
それは、お盆の13日といえども、いつもの日と同じように仕事をするからです。私は長男に生まれましたから、結婚をしたその年から、(50年間)ずっと わが家のお墓参りは私のする役目となっています。
仕事から帰ると 家にいた家族が用意したお花の束を、お墓ひとつにつき2束ずつ持って、わが家の関係のお墓をお参りして回ります。お墓は全部で5ヶ所ですから、合計10束のお花を持って行きます。
まず最初は、家敷内にあるご先祖さまのお墓と、先の大戦で戦死した伯父のお墓です。(伯父はビルマの戦場で戦死したのでお骨は入っていません)

わが家ではお墓が家敷内にあります
左が先祖代々のお墓。右が戦死した伯父のお墓。
「常在院誠公日義居士」と戒名がついています。
次に行くのが、村の(今では町内と言っていますが)鎮守の森にある「忠霊碑」です。これは、この村から出征してお国のために戦死した人たちの いわば合同慰霊碑です。合計45人の戦死者のお名前が軍隊の階級とともに刻まれています。

鎮守の森にある「忠霊碑」です。(左手前)

「忠霊碑」です。この時すでに、たくさんのお花が供えられていました。
3番目に行くのが、「忠霊碑」に隣接した敷地にある「宝塔さま」と呼ばれる仏塔です。対になっています。これは法華宗(日蓮宗とも言っていました)を信心している村の信徒たちが建てたものと伝わっています。(私の家も属しています)

「宝塔さま」です。世代が変わってお参りする人が減ってきているようです。
4番目は、私の家の菩提寺である本傳寺さまの墓地にある先祖伝来のお墓です。慎ましく、私も知らない時代のものです。古くなって一部は修復されています。

先祖伝来のお墓です。
お墓本体に刻まれた文字は見えないくらい古くなっています。
5番目のお墓は、私の妹夫婦のお墓です。妹の夫が先に亡くなっていて、妹が新潟に戻って来て建てました。その後、妹も若くして亡くなってしまいました。子供はいないので、ここにお参りするのは実家(本家)の私の役目となりました。

妹夫婦のお墓です。
さて、このように5ヶ所をお参りして帰ると ちょうど日も暮れて、夕食となります。
13日の墓参りの夕食は、3間続きの座敷の(畳32枚半です)一番奥の間の、仏壇の隣にお盆の時だけ特別に設営された、伝統的なお飾りがなされた祭壇の前でいただきます。祭壇には、ご先祖さまのご位牌がいくつも並べられています。これでご先祖さまは全員お迎えできたということになります。

3間続き(畳32枚半)の座敷です。(一番手前の間から)

次の間から。

祭壇と仏壇のある奥の間です。

伝統的なお飾りがされた祭壇です。
この晩ばかりは、ご先祖さまたちと私たち家族が一緒に夕食をいただくということです。

ご位牌とおもてなしの品々です。
コロナ以前は、私の家から“独立”して行った人も同席して、小さな“宴会”になっていましたが、今年は誰も来ません。
結局は、この広い座敷で私と家内の2人だけで、ご先祖さまの前で夕食をとることになりました。
しかし、私たちの周りにはご先祖さまたちも同席してくれている“気配”がして家内と2人きりという気持ちがしません。
でも、ご先祖さまがお帰りになれば またこの家には、たった2人だけの老夫婦という“老々家庭”に わが家もなったのだなあと、少し寂しくなったりもしました。
さて、私はご先祖さまたちにおもてなしをするというホスト役を自認して、つい“サービス心”が手伝って、いつも以上にお酒がすすみました(笑)
その夜中のことです。
私は夢うつつの中で、ふと寝返りをうとうとしました。その時です。異変を感じたのは・・・。
実は、私は4回目のワクチンを2週間も前に打っていましたが、その副反応でしょうか。とても苦しい“筋肉痛”に悩まされていました。
例えば入浴後に背中にタオルを回して拭くことも苦しく、毎日の靴下をはくことにも脱ぐことにも難儀をするほどです。
ところが、この時、ご先祖さまのご加護でしょうか。ご先祖さまへのおもてなしのご利益でしょうか。いつもは痛くて目を覚ますほどの痛みが全くなくて、簡単に寝返りができてしまったのです。
翌朝、目覚めると極めて爽快です。あれほどの筋肉痛がウソのようになくなっているではありませんか。私は嬉しくなって、ご先祖さまのご加護とご利益のおかげと考えて、お礼の心を持ってもう一度5ヶ所のお墓をお参りに回って、わざわざ 記念に写真を撮って来ました。
そして、それを今、このブログに書いて皆さんにお知らせしているわけであります。
・・・・・
(わが家のお盆の風物、 おもしろかったでしょうか)(笑)

昔から わが家のお盆を眺め続けてきた百日紅の花。
~ 私のつらい筋肉痛がとれました! ~

※すべての写真は、クリックして大きく鮮明に見ることができます
私の家では、8月13日の夕方にお墓参りをします。
それは、お盆の13日といえども、いつもの日と同じように仕事をするからです。私は長男に生まれましたから、結婚をしたその年から、(50年間)ずっと わが家のお墓参りは私のする役目となっています。
仕事から帰ると 家にいた家族が用意したお花の束を、お墓ひとつにつき2束ずつ持って、わが家の関係のお墓をお参りして回ります。お墓は全部で5ヶ所ですから、合計10束のお花を持って行きます。
まず最初は、家敷内にあるご先祖さまのお墓と、先の大戦で戦死した伯父のお墓です。(伯父はビルマの戦場で戦死したのでお骨は入っていません)

わが家ではお墓が家敷内にあります

左が先祖代々のお墓。右が戦死した伯父のお墓。
「常在院誠公日義居士」と戒名がついています。
次に行くのが、村の(今では町内と言っていますが)鎮守の森にある「忠霊碑」です。これは、この村から出征してお国のために戦死した人たちの いわば合同慰霊碑です。合計45人の戦死者のお名前が軍隊の階級とともに刻まれています。

鎮守の森にある「忠霊碑」です。(左手前)

「忠霊碑」です。この時すでに、たくさんのお花が供えられていました。
3番目に行くのが、「忠霊碑」に隣接した敷地にある「宝塔さま」と呼ばれる仏塔です。対になっています。これは法華宗(日蓮宗とも言っていました)を信心している村の信徒たちが建てたものと伝わっています。(私の家も属しています)

「宝塔さま」です。世代が変わってお参りする人が減ってきているようです。
4番目は、私の家の菩提寺である本傳寺さまの墓地にある先祖伝来のお墓です。慎ましく、私も知らない時代のものです。古くなって一部は修復されています。

先祖伝来のお墓です。
お墓本体に刻まれた文字は見えないくらい古くなっています。
5番目のお墓は、私の妹夫婦のお墓です。妹の夫が先に亡くなっていて、妹が新潟に戻って来て建てました。その後、妹も若くして亡くなってしまいました。子供はいないので、ここにお参りするのは実家(本家)の私の役目となりました。

妹夫婦のお墓です。
さて、このように5ヶ所をお参りして帰ると ちょうど日も暮れて、夕食となります。
13日の墓参りの夕食は、3間続きの座敷の(畳32枚半です)一番奥の間の、仏壇の隣にお盆の時だけ特別に設営された、伝統的なお飾りがなされた祭壇の前でいただきます。祭壇には、ご先祖さまのご位牌がいくつも並べられています。これでご先祖さまは全員お迎えできたということになります。

3間続き(畳32枚半)の座敷です。(一番手前の間から)

次の間から。

祭壇と仏壇のある奥の間です。

伝統的なお飾りがされた祭壇です。
この晩ばかりは、ご先祖さまたちと私たち家族が一緒に夕食をいただくということです。

ご位牌とおもてなしの品々です。
コロナ以前は、私の家から“独立”して行った人も同席して、小さな“宴会”になっていましたが、今年は誰も来ません。
結局は、この広い座敷で私と家内の2人だけで、ご先祖さまの前で夕食をとることになりました。
しかし、私たちの周りにはご先祖さまたちも同席してくれている“気配”がして家内と2人きりという気持ちがしません。
でも、ご先祖さまがお帰りになれば またこの家には、たった2人だけの老夫婦という“老々家庭”に わが家もなったのだなあと、少し寂しくなったりもしました。
さて、私はご先祖さまたちにおもてなしをするというホスト役を自認して、つい“サービス心”が手伝って、いつも以上にお酒がすすみました(笑)
その夜中のことです。
私は夢うつつの中で、ふと寝返りをうとうとしました。その時です。異変を感じたのは・・・。
実は、私は4回目のワクチンを2週間も前に打っていましたが、その副反応でしょうか。とても苦しい“筋肉痛”に悩まされていました。
例えば入浴後に背中にタオルを回して拭くことも苦しく、毎日の靴下をはくことにも脱ぐことにも難儀をするほどです。
ところが、この時、ご先祖さまのご加護でしょうか。ご先祖さまへのおもてなしのご利益でしょうか。いつもは痛くて目を覚ますほどの痛みが全くなくて、簡単に寝返りができてしまったのです。
翌朝、目覚めると極めて爽快です。あれほどの筋肉痛がウソのようになくなっているではありませんか。私は嬉しくなって、ご先祖さまのご加護とご利益のおかげと考えて、お礼の心を持ってもう一度5ヶ所のお墓をお参りに回って、わざわざ 記念に写真を撮って来ました。
そして、それを今、このブログに書いて皆さんにお知らせしているわけであります。
・・・・・
(わが家のお盆の風物、 おもしろかったでしょうか)(笑)

昔から わが家のお盆を眺め続けてきた百日紅の花。
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