日本歴史 物語①
   本州と九州を隔てる関門海峡は狭い
     しかしここでつくられた歴史は大きい



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バスの車内より見た「関門海峡」と「関門橋(かんもんきょう)」です


 本州と九州を隔てる海峡を、関門海峡といいます。
 しかし、その幅はとても狭いです。600mといいますから、私の家の近くの阿賀野川の、ござれや大橋の辺りの川幅は、1000mありますから、海峡というには、とても狭いと言えます。
 でも、ここで展開された歴史的な出来事としては、大きなものが二つあります。
 一つは、今 NHKテレビでやっている平 清盛に関連することですが、平家一族が滅亡することになった、壇ノ浦の戦いの壇ノ浦はこの付近の海のことです。
 この戦いに勝った源 頼朝は、武家政治を始めましたから、「武家政権の始まり」の地であったと言えます。
 二つ目は、こんな狭い海の海峡なのに、もっとどでかい事件(戦争)がありました。
 それは幕末の頃、日本国内が外国勢力(イギリス、フランス、アメリカ、オランダ)から開国を迫られていた頃、本州側の今は山口県、当時は長州藩といいましたが、この長州藩が攘夷(じょうい:外国勢力を追い払うこと)を実行するとして、1863年この関門海峡を通るイギリスの船を砲撃しました。
 ところが、その「しかえし」として、前記の四国連合が長州を攻撃し、砲台を占拠してしまったという事件(戦争)が起きました。
 これを「馬関戦争」といいます。
 この戦争で、長州藩は惨敗してしまい、以後は方向を大転換して、逆にイギリスに接近し、すすんで外国の文化を取り入れ、軍備の近代化をはかり、明治維新へと歴史はうつります。
 つまり、「武家政権の終焉(しゅうえん)」の元をつくった地となりました。
 こんな狭い海峡が大きな歴史を作った最初と最後の地となったのです。

*ちなみに「馬関」とは、山口県の下関の古称です。


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「馬関戦争」で使われた大砲が展示されています


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