名言至言③ 『男の顔は履歴書である』
        (では女の顔は「請求書」?)
          ・・・ 大宅 壮一(おおや そういち)


     ooya.jpg

  若い頃の自分の顔の出来、不出来は親のせいにできるのかもしれません。
 昔の失恋の歌詞にこんなのがありました。
 ♪ 父ちゃん母ちゃん恨むじゃないが、もう少し器量よく生まれたらこんなことにはなるまいに・・・♪
 でも、いつまでも親のせいにはしておけません。そこで「40(才)過ぎたら自分の顔に責任をもて」と言われます。
 大宅壮一は昭和40年代頃、社会評論家として大活躍していました。時として辛辣(しんらつ:物の言い方・批評が手きびしくて、相手に強い・刺激を与える様子)な毒舌家でもありました。
 いくつかの「名言」を残しています。
 そのうちのひとつが「男の顔は履歴書である」というものです。
 この時代はまだ、男社会でした。すべての男は処世の術(すべ)として、さまざまな艱難(かんなん)、辛苦(しんく)を乗り越えていかなければなりません。
 虚実(きょじつ)、清濁(せいだく)の混交する世間にあって、妻子を養っていかなければなりません。
 自分が経験した、あらゆる喜怒哀楽、苦渋悔恨が顔に刻みこまれます。
 そこを大宅壮一は遠慮なく切り込んで、鮮明な切り口を見せています。
 「男の顔は履歴書である」と断じられてしまうと、つい自分の顔をしみじみと見てしまう男たちは多いでしょう。
 私も「いい年」になった頃、たまたま行く飲み屋さんで、ガラスに写った自分の顔をつい覗き込んで、しみじみと眺めたりしたものでした(笑)
 その後、誰かが(藤本義一だとか、吉行淳之介だとかと言われていますが)じゃあ、女の顔は「請求書」だと言ったということです。
 当時は、日本の経済が繁栄期にありましたから、好景気の最中でした。一方この頃から女性の社会進出が始まって、女性の顔がみな出番を待っているかのように見えました。
 私はこれも名言至言だと思いました(笑)
 大宅壮一が亡くなると、その功績を記念して「大宅壮一ノンフィクション賞」が創設され、以後ノンフィクション作家の登竜門となりました。



コメントのある方は下記の理事長のメールアドレスへお寄せください。
jyouyoukai2312-blog@yahoo.co.jp