秋の来訪者 - 朝の網戸にバッタが!

 昆虫は、夜には光を求めて灯りに寄って来ます。
 そこで「飛んで火に入る夏の虫」とか「こがね虫投げうつ闇の深さかな」などの成句や俳句などができています。
 上記の虫は夏の虫ですが、同じ虫でも、秋の虫は少し情趣が違ってきます。
 夜に鳴く虫とか、そして寄って来る虫にしても、灯の明りにではなく、人の気配を求めて来るような気分に人をさせるようです。
 今朝、私が家を出ようとすると玄関脇の廊下のガラスの網戸にバッタが一匹、張りついてじっと動きません。
 まるで私の家の内側を覗いているように見えます。
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   廊下の網戸に来ていたバッタ
  2
   網戸の内側から見るとこんなふうに張りついている

 寒さも近づいて来た野原から人家の暖かさを求めて来たようにも見えます。まるで私の家への来訪者のようです。

 そこで私は、思わず新潟県の魚沼出身の「かなしみ」の歌人
 宮 柊二(みや しゅうじ) の有名な短歌を思い出しました。
 それは、
     「悲しみを窺(うかが)ふごとも青銅色(せいどう)の
             かなぶん一つ夜半(よわ)に来てをり」

        1 若い頃の 宮 柊二 

 という一首です。(歌中の読み仮名は一部私が入れました)
 この作品の作られた時代は日本の敗戦後まもない頃のことで、まだ世の中がさまざまな意味で不安な頃でした。
 この歌の意味は「私(私の家、家族)の悲しみをいかにも知っているかのようにそれを覗きこむようにして、青銅色の一匹のカナブン(金蚊)が夜半に来ている」というものです。内省的な気持ちにさせるのは、それが夜半のことだからでしょうか。
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     カナブン

 しかし、私の家のバッタは秋の朝のことですから、私の家の悲しみを覗きにというよりは、バッタが秋の野の寂しさにたえかねて、人里のわが家に身を寄せに来たのだと、私はチラリと一瞥(いちべつ)して、万物の「生」を「愛しんで」家を出たものでした。




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