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日本歴史物語③
邪馬台国 所在地論争(1)
 卑弥呼の女王国は、畿内(奈良県)にあった


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      安田靫彦(やすだゆきひこ)作品 「卑弥呼」

 日本の古代史において最大の謎と言ったら、表記の「邪馬台国の所在地」ということになるかも知れません。
 最近でも卑弥呼の墓(古墳)はどこだとかと話題が新聞などによく報道されます。
 「邪馬台国」「卑弥呼」については、「魏志倭人伝」に記述されていることがすべてです。
 私は、40年くらい前からこの問題に興味を持って、関連の情報に注意を払ってきました。
 そこで私の結論から言えば、邪馬台国は畿内にあったとすべきなのです。
 「魏志倭人伝」は、漢文にして2000字(400字づめ原稿用紙5枚)くらいのボリュームですから、書き下し文を参考にすれば、誰にでも読むことはできます。
 これを素直に平明にその「大意」を読めば、「畿内」とするよりほかありません。なぜならば、「魏志倭人伝」では邪馬台国への道程が「帯方郡の使者」(以下 使者)の「旅行記」「報告記」として引用される形で記述されているのですが、使者は、伊都国までしか来ていないのです。
 そう判断する理由は、伊都国まではその滞在地のことが自らの見聞によって書かれていますが、それ以後の地点のことについては、特に自らの記述はないのです。
 このように、「使者」が邪馬台国まで行っていないとする、このことから導き出される結論は、以下のようになります。

***さて 以下の理由から邪馬台国の位置を明確に求めている説を唱えているのは 不思議にも実は全国で私が初めてなのです。
   もし 先に述べておられる人がいたら ぜひ指摘していただきたいと思います。***
 
今日、邪馬台国の所在地であったろうとされるところは、「北九州」または「畿内」の2点にしぼられているわけですから、「北九州」の「有力」候補地点までは、せいぜい伊都国から50㎞くらいの範囲の地点となっています。これは、新潟から長岡まで届かないくらいの近さにあるわけです。よって、「使者」が行けないわけも、行かないわけも合理的には説明が極めてつきにくいということになります。

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 一方、「畿内」とすれば、記述からして片道、だいたい2ヶ月から3か月くらいもかかるとされる地点ですから、伊都国から何らかの理由で行かなかった理由としては、「そこが遠くにあって、長い期間がかかるから」という合理的な理由がつけられます。
 当時は、渡航の時期というものがあって、その時期というのは3月から5月くらいの間とされているようです。
 「使者」は、なんらかの理由で1年以上は倭国にとどまることができないという理由で、すぐさま短い期間で帰国したに違いありません。
 わずか50㎞くらいの間だったら、往復5~6日もあれば当時としても行って帰って来られる距離です。「使者」なら必ず行ったでしょう。それが行けなかったのは 行かなかったのは
 すなわち 邪馬台国は遠い所にあったから、もし行っていたら翌年の3月~5月まで帰ることができなかったので、「使者」は邪馬台国に行くことができなかった とすることが極めて順当な理由となるのです。
もし 事実行っていたとしたら もっと生々しい「見聞」を書いているはずです。
 よって、これらの事情から私は、邪馬台国は畿内の奈良県あたりにあったと主張するのです。

 ところで、私がこのような「自説」を「勝手」に唱えられる理由は、実は「邪馬台国所在地論争」というのは、不幸にして?古来、だれもが、勝手気ままと思えるほど、時には「でたらめ」なほど自由に自説を立てて発表してきました。
確たる証拠がないことに乗じて?まさに百花繚乱のごときなのです。だいたい200説くらいはあるらしいです。
 その理由については、また次の機会に書きましょう。
 それほどに この問題はその人をしてロマンに駆り立てる問題と言えるのでしょう。




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