古代史は現代におよぶ -NHKニュース 


 昨日、今日のNHKニュースに、天武・持統天皇陵のことが報じられ

ていました。

 古代史に興味のある人たちは耳をそばだてて聞いたことでしょう。

 天武・持統といえば、天智が浮かびます。(以下「天皇」を省略いた

します)

 この三人の天皇の関係は、天智・天武は兄弟とされます。

 持統は天智の娘(皇女)です。

 7世紀のことです。

 天智は自分の娘(皇女)たちの中から二人を天武の妃(妻)としてや

っています。

 すなわち、鵜野讃良(うののさらら)皇女(以下 鵜野皇女 と書きま

す)と大田(おおたの)皇女です。
 
 鵜野皇女は後に天武の皇后となり、天武の死後は「女帝」持統天皇

となりました。

 一人の男性のところに姉妹の関係で二人の女性が妻になることは、

よほどその男性を娘たちの親が「重要視して丁重」に扱っていたかと

いうことだそうです。(似たようなことは中国史にもあります)

 ともかく、それほどまでに、「兄」天智と、「弟」天武の関係が「ナーバ

ス(nervous)」なものかもと思われます。

 ゆくゆくに連れて鵜野皇女と大田皇女の姉妹も「ナーバス」な関係と

なります。

さらにその子供たちもです。

 天智と天武、鵜野と大田の4人の関係、そしてその子供たちは、結

果的に、古代史の中で特筆すべき「大戦争」「大事件」や「大悲劇」を

生みました。

 天武と持統は、勝利者として、一応はその皇統の基盤を築きます。 

(しかし、後年、天智系の巻き返しがあります)

 歴史的に評価すれば、持統はともかくも妻として天武に尽くし、その

「内助の功」をもって、天武とともに古代史の一時代を形成し、燦然と

輝くその後の「天武系」皇統の礎を築きました。

 今風にいえば、持統は天武の「糟糠の妻」であり、天武亡きあとは

「肝っ玉母さん」となりました。

 だからこそと「合葬」なのだと納得がいきます。(天武は第40代、持

統は第41代の天皇とされ、持統の死は天武の死の16年後とされま

す)

 持統が天武亡きあとその皇統を保持するため、皇后として、「女帝」

になったこともうなずけるし、女帝にならざるを得なかったことも、うな

ずけます。(これについては私などがどう書いても収まるものではあり

ません。興味のある人は本屋さんで「専門書」を買ってください)

 ところで、目を現代に転ずると、タレントに「神田うの」さんというステ

キな女性(私はファンでした)がいますが、彼女の名前の「うの」は実

はご両親がこの鵜野皇女から取ったものだということですよ。

皆さんご存じでしたか?

 私はどこかでその記事を読んだことがあります。

「古代」から「現代」まで連綿と続く、日本の「歴史」が感じられます

ね(笑)


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