むかしよりなる人の世かなし・・・(世界のくらし) 


 昨日のブログで、川の畔(ほと)りで育った私が子供ながらに一人前

に舟を漕(こ)ぐ技に習熟していたことを書いていたところで、そこでは、

舟の片側に力点を加え、舟の方向を一方に曲げることなく真っすぐに

漕ぐことは、ボートを片方のオール一本で漕いで、真っすぐに進めるこ

とくらい難しいものだ、と例えましたが、その時、以前テレビで見た

『インダー族』のことが思い出されました。

   ウィキペディアより : インダー族   

この部族の人たちは、水上に草を固めた「陸地」を浮かせて作って、

そこに家のようなものを建てて暮らしています。

 舟を漕いで荷物を運んだり、舟を漕ぎながら水面下に魚網を仕掛け

たり、それを上げたりして魚を取っています。

 その時、舟を漕ぐのは、一本の足しか使いません。

 すなわち、片方の足で舟に立ち、もう片方の足をオールか櫓(ろ)の

ような棒状のものに巻きつけるようにして、巧みに足を動かして舟の

動きを操(あやつ)ります。

 まるで、舟と水と仕事と人間が、一体になったように働いています。

 それのみをもって生計を立てているように見えます。

 このような暮らしの中にこの人たちは生きているのでしょう。

 だとしたら、赤ん坊だって水に浮くし、子供だってラッコのように水に

潜っているのではないでしょうか。

 もちろん、大げさな言い方ですが、私が言いたいことは、生計のため

に習熟した技術を「昔 操(と)った杵柄(きねづか)」と位置付けたりし

ているのは、「日本の文化」であり、「杵柄」をあやつって暮しを立てて

いるということは、それがまさに「生計」であり、「生きる為の労働」であ

るということです。

 以上のことを考えて『インダー族』の暮しぶりを見た時、私は、なんと

なく「重い気持」になりました。

 なんと言ったら良いのでしょう。(うまい説明になっていないかもしれ

ません)

 それでふと思い出した短歌があります。

 それは前登志夫(まえ としお)という歌人のこの一首です。

    菊を刈り 火にくべておれば 涙いづ
              むかしよりなる人の世かなし
 

 遠い昔からの人の世の暮しは、生きるための労働から発していま

す。

 人の世の歴史を辿って、今の自分に行きつく時、自分もその歴史の

構成員だと気付きます。

 それを文化だと昇華(しょうか)させたところで、たぐり寄せてみれ

ば、やはり、「人の世のかなしみ」の集結だという思いに至るのです。

-----------------------------

 今日は、ちょっと私が他人に自分の思いを語るには難しかったよう

です。

 少し、ごめんなさい。



コメントのある方は下記の理事長のメールアドレスへお寄せください。
jyouyoukai2312-blog@yahoo.co.jp