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2020.04.28
★世界旅物語(68) バンコク観光の一番の感動は やはり 『暁(あかつき)の寺』
世界旅 物語(68)
バンコク観光の一番の感動は やはり『暁(あかつき)の寺』
チャオプラヤ川から見た『暁の寺』
※すべての写真は、クリックして大きく見ると とても感動的です
バンコクに何回か行っても、やはり また行ってみたいと思い 行ってしまうのが『暁の寺』です。
その姿は神々しくもあり、熱暑の この地の濃密な文化と歴史を感じさせて、仰ぎ見る時 崇高さと荘厳さにうたれます。 その名前の由来は いろいろあるようですが、一番わかりやすい説明は、その所在の位置にあります。
バンコクの中心部の真ん中には 南北にチャオプラヤ川が流れていますが、この『暁の寺』は、この川の右岸、つまり西側の岸に沿うようにして建っていますから、早暁(そうぎょう:明け方)、朝日が差し始めると 東側の対岸からは 川を隔てて水面に浮きたつように 光を受けて、いくつもの塔からなる寺院の全容を現します。
仏教に帰依(きえ:信じてその力にすがること)していて、毎日未明に起きて 真っ先に、早朝の托鉢(たくはつ)に回る僧侶たちに 喜捨(きしゃ:進んで金品を寄付すること)するための食物を用意するという この国の人々には敬仰(けいぎょう:敬い仰ぐこと)の対象となっていたことでしょう。
ところで『暁の寺』というと、三島由紀夫の同名の小説をすぐに思い浮かべます。 三島の最後の作品となった、《豊饒の海》(ほうじょう:穀物が実り豊かなこと) 4部作、「春の雪」「奔馬」(ほんば:勢いよく走る馬。あばれ馬)「暁の寺」「天人五衰」(てんにんごすい:天人が死ぬ前に その身体に現れるという五つの兆しのこと) は有名ですが、その3作目「暁の寺」のモデルになったものです。
ちなみに この4部作は それぞれの主人公が〝輪廻転生″(りんねてんしょう)によって 生まれ変わるという構成になっていますから、戦後の合理主義的な教育を受けて育った 当時の若者の一人であった私には 不可解な〝謎″を感じさせる小説でした。
三島は《豊饒の海》の取材旅行を1967年(昭和42年)に行い、その時に この「暁の寺」にも行っています。
私はこの4部作が出版されると さっそく買って読みました。当時20代前半だった私には、三島の文章は少し難解でした。 その『暁の寺』の下(くだ)りを少し転用して書くと次のようなものです。
一層一層が幾重の夢、幾重の期待、
幾重の祈りで押し潰されながら、
なお累積し累積して、
空へ向かって躙(にじ)り寄って成した
極彩色の塔。
―― 三島由紀夫『暁の寺』より
三島由紀夫 《豊饒の海》 4部作のうち 「春の雪」「暁の寺」「天人五衰」 です。「奔馬」は紛失したようです。
どうです。 難しそうでしょう(笑)
ついでに 三島の最後のことを書くと、彼は昭和45年(1970年)11月25日 東京の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をして果てました。(この日は この4部作の最終巻「天人五衰」が出版社への入稿日であったとのことです) その死の衝撃は多大なものでした。 それを報道した、地元誌 新潟日報の紙面には大きく、≪憂国の作家 狂乱の死≫とあったのを、私は今も覚えているほどです。
さて、バンコク観光に話を戻しますと、『暁の寺』はチャオプラヤ川の対岸から、①早朝の日の出の眺望と ②夕方から夕闇にかけて、沈みゆく姿と ③夜ライトアップされて建つ、 ナイトクルーズ船からの眺め が三大ポイントになっているようです。
私が初めてバンコク旅行したのは、三島の取材旅行の6年後、三島の死から3年後ということになります。
発展途上であった その頃の時代が、タイにしても日本にしても そして私にしても 今なお 懐かしく思い出されます。
【地球旅行 Thailandより】 沈む夕日を背にしたシルエット
船着き場から見たところ
混雑していました
いよいよ内部に入って行きます
内部から見上げたところ
模様は陶器の破片です
木が1本ありました。何という花の木でしょう。
バンコク観光の一番の感動は やはり『暁(あかつき)の寺』
チャオプラヤ川から見た『暁の寺』
※すべての写真は、クリックして大きく見ると とても感動的です
バンコクに何回か行っても、やはり また行ってみたいと思い 行ってしまうのが『暁の寺』です。
その姿は神々しくもあり、熱暑の この地の濃密な文化と歴史を感じさせて、仰ぎ見る時 崇高さと荘厳さにうたれます。 その名前の由来は いろいろあるようですが、一番わかりやすい説明は、その所在の位置にあります。
バンコクの中心部の真ん中には 南北にチャオプラヤ川が流れていますが、この『暁の寺』は、この川の右岸、つまり西側の岸に沿うようにして建っていますから、早暁(そうぎょう:明け方)、朝日が差し始めると 東側の対岸からは 川を隔てて水面に浮きたつように 光を受けて、いくつもの塔からなる寺院の全容を現します。
仏教に帰依(きえ:信じてその力にすがること)していて、毎日未明に起きて 真っ先に、早朝の托鉢(たくはつ)に回る僧侶たちに 喜捨(きしゃ:進んで金品を寄付すること)するための食物を用意するという この国の人々には敬仰(けいぎょう:敬い仰ぐこと)の対象となっていたことでしょう。
ところで『暁の寺』というと、三島由紀夫の同名の小説をすぐに思い浮かべます。 三島の最後の作品となった、《豊饒の海》(ほうじょう:穀物が実り豊かなこと) 4部作、「春の雪」「奔馬」(ほんば:勢いよく走る馬。あばれ馬)「暁の寺」「天人五衰」(てんにんごすい:天人が死ぬ前に その身体に現れるという五つの兆しのこと) は有名ですが、その3作目「暁の寺」のモデルになったものです。
ちなみに この4部作は それぞれの主人公が〝輪廻転生″(りんねてんしょう)によって 生まれ変わるという構成になっていますから、戦後の合理主義的な教育を受けて育った 当時の若者の一人であった私には 不可解な〝謎″を感じさせる小説でした。
三島は《豊饒の海》の取材旅行を1967年(昭和42年)に行い、その時に この「暁の寺」にも行っています。
私はこの4部作が出版されると さっそく買って読みました。当時20代前半だった私には、三島の文章は少し難解でした。 その『暁の寺』の下(くだ)りを少し転用して書くと次のようなものです。
一層一層が幾重の夢、幾重の期待、
幾重の祈りで押し潰されながら、
なお累積し累積して、
空へ向かって躙(にじ)り寄って成した
極彩色の塔。
―― 三島由紀夫『暁の寺』より
三島由紀夫 《豊饒の海》 4部作のうち 「春の雪」「暁の寺」「天人五衰」 です。「奔馬」は紛失したようです。
どうです。 難しそうでしょう(笑)
ついでに 三島の最後のことを書くと、彼は昭和45年(1970年)11月25日 東京の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をして果てました。(この日は この4部作の最終巻「天人五衰」が出版社への入稿日であったとのことです) その死の衝撃は多大なものでした。 それを報道した、地元誌 新潟日報の紙面には大きく、≪憂国の作家 狂乱の死≫とあったのを、私は今も覚えているほどです。
さて、バンコク観光に話を戻しますと、『暁の寺』はチャオプラヤ川の対岸から、①早朝の日の出の眺望と ②夕方から夕闇にかけて、沈みゆく姿と ③夜ライトアップされて建つ、 ナイトクルーズ船からの眺め が三大ポイントになっているようです。
私が初めてバンコク旅行したのは、三島の取材旅行の6年後、三島の死から3年後ということになります。
発展途上であった その頃の時代が、タイにしても日本にしても そして私にしても 今なお 懐かしく思い出されます。
【地球旅行 Thailandより】 沈む夕日を背にしたシルエット
船着き場から見たところ
混雑していました
いよいよ内部に入って行きます
内部から見上げたところ
模様は陶器の破片です
木が1本ありました。何という花の木でしょう。
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