世界物語(68)
バンコク観光の一番の感動は やはり『暁(あかつき)の寺』

 ②
  チャオプラヤ川から見た『暁の寺』
  ※すべての写真は、クリックして大きく見ると とても感動的です

 バンコクに何回か行っても、やはり また行ってみたいと思い 行ってしまうのが『暁の寺』です。
 その姿は神々しくもあり、熱暑の この地の濃密な文化と歴史を感じさせて、仰ぎ見る時 崇高さと荘厳さにうたれます。 その名前の由来は いろいろあるようですが、一番わかりやすい説明は、その所在の位置にあります。

 バンコクの中心部の真ん中には 南北にチャオプラヤ川が流れていますが、この『暁の寺』は、この川の右岸、つまり西側の岸に沿うようにして建っていますから、早暁(そうぎょう:明け方)、朝日が差し始めると 東側の対岸からは 川を隔てて水面に浮きたつように 光を受けて、いくつもの塔からなる寺院の全容を現します。
 仏教に帰依(きえ:信じてその力にすがること)していて、毎日未明に起きて 真っ先に、早朝の托鉢(たくはつ)に回る僧侶たちに 喜捨(きしゃ:進んで金品を寄付すること)するための食物を用意するという この国の人々には敬仰(けいぎょう:敬い仰ぐこと)の対象となっていたことでしょう。

 ところで『暁の寺』というと、三島由紀夫の同名の小説をすぐに思い浮かべます。 三島の最後の作品となった、《豊饒の海》(ほうじょう:穀物が実り豊かなこと) 4部作、「春の雪」「奔馬」(ほんば:勢いよく走る馬。あばれ馬)「暁の寺」「天人五衰」(てんにんごすい:天人が死ぬ前に その身体に現れるという五つの兆しのこと) は有名ですが、その3作目「暁の寺」のモデルになったものです。
 ちなみに この4部作は それぞれの主人公が〝輪廻転生″(りんねてんしょう)によって 生まれ変わるという構成になっていますから、戦後の合理主義的な教育を受けて育った 当時の若者の一人であった私には 不可解な〝謎″を感じさせる小説でした。
三島は《豊饒の海》の取材旅行を1967年(昭和42年)に行い、その時に この「暁の寺」にも行っています。
 私はこの4部作が出版されると さっそく買って読みました。当時20代前半だった私には、三島の文章は少し難解でした。 その『暁の寺』の下(くだ)りを少し転用して書くと次のようなものです。

    一層一層が幾重の夢、幾重の期待、
    幾重の祈りで押し潰されながら、
    なお累積し累積して、
    空へ向かって躙(にじ)り寄って成した
    極彩色の塔。
           ―― 三島由紀夫『暁の寺』より

 2
 三島由紀夫 《豊饒の海》 4部作のうち 「春の雪」「暁の寺」「天人五衰」 です。「奔馬」は紛失したようです。

 
 どうです。 難しそうでしょう(笑)
 
 ついでに 三島の最後のことを書くと、彼は昭和45年(1970年)11月25日 東京の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をして果てました。(この日は この4部作の最終巻「天人五衰」が出版社への入稿日であったとのことです) その死の衝撃は多大なものでした。 それを報道した、地元誌 新潟日報の紙面には大きく、≪憂国の作家 狂乱の死≫とあったのを、私は今も覚えているほどです。

 さて、バンコク観光に話を戻しますと、『暁の寺』はチャオプラヤ川の対岸から、①早朝の日の出の眺望と ②夕方から夕闇にかけて、沈みゆく姿と ③夜ライトアップされて建つ、 ナイトクルーズ船からの眺め が三大ポイントになっているようです。

 私が初めてバンコク旅行したのは、三島の取材旅行の6年後、三島の死から3年後ということになります。
発展途上であった その頃の時代が、タイにしても日本にしても そして私にしても 今なお 懐かしく思い出されます。

 1
  【地球旅行 Thailandより】 沈む夕日を背にしたシルエット

 3
  船着き場から見たところ

 4
  混雑していました

 5
  いよいよ内部に入って行きます

 6
  内部から見上げたところ

 7
  模様は陶器の破片です

 8
    

 9
    

 10
    

 11
    

 12
  木が1本ありました。何という花の木でしょう。

コメントのある方は下記の理事長のメールアドレスへお寄せください。
jyouyoukai2312-blog@yahoo.co.jp