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2022.12.13
★★世界旅物語(70)★★オーストリアの「肝っ玉かあさん」 女帝 マリア・テレジア
世界旅 物語(70)
オーストリアの「肝っ玉かあさん」 女帝 マリア・テレジア

堂々たる貫禄。マリア・テレジア
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
※すべての写真は、クリックして大きく鮮明に見ることができます
ウィーンの観光ポイントは数々ありますが、主役はやっぱり「マリア・テレジア」と マリア・テレジア・イエローで有名な「シェーンブルン宮殿」と言って良いでしょう。
ウィーンは600年余にわたりヨーロッパに君臨した 名門ハプスブルク家の繁栄と栄光の歴史の象徴(シンボル)であり、その王都の女帝はマリア・テレジアその人です。
――――――――――――――――――――――――

宮廷画家マルティン・ファン・メイテンスが描いた幸せあふれる
『シェーンブルン宮殿の女帝マリア・テレジアとその家族』(週刊 世界旅行より引用)

『シェーンブルン宮殿』 (週刊 世界旅行より引用)
これぞロココ調。そしてこれがマリア・テレジア イエロー。

シェーンブルン宮殿の庭には、ギリシア、ローマの古典を題材にした彫像が、
随所に配置されています。(週刊 世界旅行より引用)
「肝っ玉かあさん」というと日本では、同名のホームドラマが思い出され、庶民の中の頑張り屋かあさんと言ったイメージですが、マリア・テレジアはヨーロッパにおける18世紀の国家間を股にかけて、国家のために、家族のために、まさに “男まさり”の“大活躍”を演じた 肝っ玉かあさんの“親分”というべき女性です。
自分の“帝位の家系”にケチをつける 隣国ドイツの“粗暴”な男王と、くんずほぐれつの戦争をしながら、その偉大な妻の陰に隠れてしまいそうな 大人しく善良な夫をも帝位につけ、夫婦睦まじくも16人もの子供を産み育てました。 しかし48歳にして愛する夫を亡くして未亡人となります。
黒い帽子をいつもかぶって 未亡人の姿ながら、家族に情愛をもって 国の統治にも一心不乱で励みましたが、晩年は“苦労を知らない”長男を後継皇帝とせざるを得ず、国政は共同統治としましたが、最後まで意見があわなかったといいます。
さらに、特別 愛情を注いで“手塩にかけて”育てた末娘のマリー・アントワネットは、フランス王室に嫁ぎましたが、“親の心 子知らず”でしょうか。 心配の種はつきません。娘に手紙を出すと必ず、フランス語で返事を書かせ、その手紙をまた自ら添削して娘に送り返して、フランス語とフランスの習慣に慣れさせようと身をもんだそうです。
晩年、心臓を病んだ 女帝“肝っ玉かあさん”は、国の行く末や子供たちの将来を案じながら、63歳で苦しかったであろう生涯を閉じました。
その10年後には 息子は失政を悟って、失意のうちに世を去りました。
さらに、(時あたかもフランス革命の最中)その3年後には、あろうことか、あの末娘のマリー・アントワネットは、衆人環視の中でギロチン台の上で首を切り落とされて刑死したのでした。

私が今年の旅行で撮った『シェーンブルン宮殿』

庭園内の至るところに彫刻があります。 結構 官能的です。

広い庭園の風景です。これもロココ調?
≪参考文献≫
週刊 地球旅行 (講談社)
この一冊で世界の歴史がわかる! 著者 水村光男 (三笠書房)
オーストリアの「肝っ玉かあさん」 女帝 マリア・テレジア

堂々たる貫禄。マリア・テレジア
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
※すべての写真は、クリックして大きく鮮明に見ることができます
ウィーンの観光ポイントは数々ありますが、主役はやっぱり「マリア・テレジア」と マリア・テレジア・イエローで有名な「シェーンブルン宮殿」と言って良いでしょう。
ウィーンは600年余にわたりヨーロッパに君臨した 名門ハプスブルク家の繁栄と栄光の歴史の象徴(シンボル)であり、その王都の女帝はマリア・テレジアその人です。
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宮廷画家マルティン・ファン・メイテンスが描いた幸せあふれる
『シェーンブルン宮殿の女帝マリア・テレジアとその家族』(週刊 世界旅行より引用)

『シェーンブルン宮殿』 (週刊 世界旅行より引用)
これぞロココ調。そしてこれがマリア・テレジア イエロー。

シェーンブルン宮殿の庭には、ギリシア、ローマの古典を題材にした彫像が、
随所に配置されています。(週刊 世界旅行より引用)
「肝っ玉かあさん」というと日本では、同名のホームドラマが思い出され、庶民の中の頑張り屋かあさんと言ったイメージですが、マリア・テレジアはヨーロッパにおける18世紀の国家間を股にかけて、国家のために、家族のために、まさに “男まさり”の“大活躍”を演じた 肝っ玉かあさんの“親分”というべき女性です。
自分の“帝位の家系”にケチをつける 隣国ドイツの“粗暴”な男王と、くんずほぐれつの戦争をしながら、その偉大な妻の陰に隠れてしまいそうな 大人しく善良な夫をも帝位につけ、夫婦睦まじくも16人もの子供を産み育てました。 しかし48歳にして愛する夫を亡くして未亡人となります。
黒い帽子をいつもかぶって 未亡人の姿ながら、家族に情愛をもって 国の統治にも一心不乱で励みましたが、晩年は“苦労を知らない”長男を後継皇帝とせざるを得ず、国政は共同統治としましたが、最後まで意見があわなかったといいます。
さらに、特別 愛情を注いで“手塩にかけて”育てた末娘のマリー・アントワネットは、フランス王室に嫁ぎましたが、“親の心 子知らず”でしょうか。 心配の種はつきません。娘に手紙を出すと必ず、フランス語で返事を書かせ、その手紙をまた自ら添削して娘に送り返して、フランス語とフランスの習慣に慣れさせようと身をもんだそうです。
晩年、心臓を病んだ 女帝“肝っ玉かあさん”は、国の行く末や子供たちの将来を案じながら、63歳で苦しかったであろう生涯を閉じました。
その10年後には 息子は失政を悟って、失意のうちに世を去りました。
さらに、(時あたかもフランス革命の最中)その3年後には、あろうことか、あの末娘のマリー・アントワネットは、衆人環視の中でギロチン台の上で首を切り落とされて刑死したのでした。

私が今年の旅行で撮った『シェーンブルン宮殿』

庭園内の至るところに彫刻があります。 結構 官能的です。

広い庭園の風景です。これもロココ調?
≪参考文献≫
週刊 地球旅行 (講談社)
この一冊で世界の歴史がわかる! 著者 水村光男 (三笠書房)
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