私版「君の名は」 ・・・新潟地震の思い出 


 一昨日6月16日は新潟地震が起こった日です。

 48年前です。

 先頃の中越地震や中越沖地震よりももっと大きな地震でした。

 ただ、まだ当時はマグニチュードなどという地震の尺度がありません

でしたので、はっきりした比較はできません。

 でも、当時、信濃川に架かっていた「昭和大橋」は、同年の新潟で開

催された「国体」に合わせて新設された橋だというのに、無残にも橋

げたがパタン、パタンというように川に落下してしまいました。

昭和大橋


 山ノ下にあった、昭和石油の石油タンクから火災が発生し、その黒

煙が空を覆ったため、翌日からの新潟は太陽が見えなくなったほどで

した。

黒煙


 市内いたるところに液状化現象が起こりました。

 県営の4階建てくらいの鉄筋コンクリートアパートも横倒しになって倒

れました。

 まだまだ、その時の被害を書いたらキリがありません。

 ところで、みなさんは、「君の名は」というラジオドラマを知っておられ

ますか?

 それはその後、その人気のゆえ、映画にもなり、戦後の一大ヒット作

となりました。

 当時の有名作家 菊田一夫の作で、大体のストーリーはこのようなも

のです。(実は私もよくは知らないのです)

 東京大空襲(ああ、みなさん知らないでしょうね)で逃げのびる折、

互いの難儀を助け合った二人の若い男女が別れる時に、もし生き延

びる事ができたら、半年後にまたここ、数寄屋橋(すきやばし)で会お

うと約束をたてました。

 その別れ際に男性が女性に聞いたそうです。

 「君の名は」と。

 女性の名は「真知子」でした。

 ちなみに男性は「春樹」です。

 と、まあこのようにして始まるNHKラジオドラマなのですが、これが

一世を風靡(ふうび)して大ヒットしました。

 夜、このラジオ放送が始まると「女湯が空になった」そうです。

 女湯に入っていた女性が全員湯からあがって、脱衣所のフロアにあ

る1台のラジオに聞き入ってしまうからです。

 ともかく、女性に「大人気」だったのです。

 さて、これとは別に、私にも新潟地震の日に学校から家に「逃げ帰

る」時に実は同じような「ドラマ」があったのですよ(笑)

 当時、私は高校二年生で、学校は関屋本村のあたりにありました。

 地震発生時は、午後1時2分ころでした。

 当時は、今のようにたくさんの地震などはなくて、地震の知識は何も

ありませんでした。

 大きな精神的動揺が誰にもありました。

 余震がまだ続く中、生徒たちは全員、校庭に集合させられ、無事が

確認されると、簡単ないくつかの「注意」を与えられた後、すぐ解散に

なりました。

 学校側としては、すぐ家へ帰れということです。

 さて、気を馳せて帰る途中、市内の営所通りに来ました。

 この道路を横断しようとしたところ、どこか水道管が破れていたので

しょう。

 営所通りは大きく見れば「坂」になっていますから、車道部分は「ごう

ごう」とばかりに水が川のようになって流れています。

 このまま渡ったら、水で靴やズボンがかなり濡れてしまいます。

 「はて、どうしようか」と歩道に立ちすくんでいると、隣にやはり、他校

の女子高校生が渡るに渡れず困っています。

 この時、私によほどの非常事態という認識があったせいでしょう

か?

 当時、気が小さくて、異性など話しかけることができなかった私が、

なんと、この女子高校生に私が彼女をおぶって、渡してあげると申し

出たのです。(なんて言ったのか、今となっては思い出せません)

 女子高校生はそれを了解し、私におんぶされて無事対岸に着くこと

ができました。

 そこで私たち二人は別れました。

 女子高校生は私の高校の付近にある学校の、やはり二年生で

した。(セーラー服のリボンの色でわかります)

 で、で、この時、私も「君の名は?」って聞いていたら、その後、あの

ドラマのような展開はあったのでしょうか??

 毎年、地震のことが報じられるたび、このことが思い出されます。

 銀座の数寄屋橋(すきやばし)と新潟の営所通りでは、ドラマが違う

ということでしょうか。残念!(笑)



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