亀田郷物語① 「郷」と呼ぶその「意味」とは?


0627理事長ブログ亀田郷j
  亀田郷の全体図です
 

 「亀田郷」という言葉は、時々、そして、よく聞く言葉ですが、その意

味するところと歴史的なことを、私が私なりに一般のみなさんに説明し

てみましょう。

 実は、私自身、私のアイデンティティ(identity:身分証明のようなも

の)を考察するとしたら、この「亀田郷」という地域を語らずしてありえ

ないと思うのです。

 私の家は、その昔「志田家本家」から分家として、私の祖先が独立

してから、私の代で8代目とされます。

 一代30年とすれば240年間、代々 現在の場所で暮らしてきたことに

なります。

 私の子供の頃には、私の屋敷には直径1.5mくらいはあろうかとい

う、欅の木が5本くらいありました。

 今はそのうち1本が残っています。

 欅はあと2本ありますが、これはその次に大きかった木です。

 これらの欅は恐らく、私の祖先が最初の家を建てた時には、もうか

なり大きかったと思われます。

 私の家の「8代」はこの欅たちに見守られて暮してきたのです。

 それはさておき、さらに「亀田郷」のアイデンティティに話を移しま

す。

 「亀田郷」にはアイデンティティを語るにふさわしい、歴史がありま

す。

 それのコンセプト(concept:概念、観念のようなもの)は「水との戦

い」でした。

 ところで、「郷」というのは律令時代の行政区の「末端の単位」とされ

ますから、小さな、まとまった「区域」ということでしょう。

 しかし、この今呼んでいる「亀田郷」というこの地域に、律令(法律)

に基づく「地域指定」などがあったわけではありません。

 では、なんで「区域」の「概念」が生まれたのでしょう。

 それは、「水との戦い」の歴史からでした。

 現に、亀田郷の「区域」を見れば一目瞭然です。

 亀田郷という「区域」はその周りを日本海、阿賀野川、信濃川、小阿

賀野川に囲まれています。

 すなわち、四方を水に囲まれていますから、「外敵」である水から自

分達の生活を守るために、高く、強い(理想としては)堤防を作って、

自分達の地域を囲いこんでいるのです。

 ところで、この地にはその中心として、古くから「亀田」という、当時と

しては大きな人口集積地がありました。

 ここに「亀田地区」「亀田郷」と言われる素地ができていました。

 具体的には、大正3年(1914年)に「亀田郷水害予防組合」ができて

いますが、「亀田郷」は当時の行政庁からというよりはむしろ、「民意」

で成立したようです。

 その後、昭和24年(1949年)に「土地改良法」という法律が施行さ

れ、この時もひとつの民意で、それまでの「亀田郷耕地整理組合」が

改名され、「亀田郷土地改良区」となったとあります。

 この際にも、「亀田郷」は特に法律に基づく行政区ではありませんで

したから、民意で「亀田郷」と名乗ったということでしょう。

 以上のように考えると、「亀田郷」という名称は、律令(法律)にある

行政区の「最小単位」という区分ということは意識しながらも、「民意」

で「自称」されたものであると言ってもよいと思います。

 このことは、四方を水に囲まれて、「城壁」ならぬ「堤防」で守られた、

「水との戦い」から勝ち抜いてきた「わが地域」という愛着感と、団結感

と、連帯感を強く感じることができます。

 このように考えると、21世紀に住み、もはや「水との戦い」の苦しく厳

しかった歴史など、忘れたかのような今の時代の「私」が、その末裔と

して幸せにこの地に「存在」しているということになります。

それでも、今このように書いている私は、この亀田郷の歴史のこだわ

りから、なかなか解放されない、最後の世代の一人かもしれません。

 私は「亀田郷」の歴史を偲び、先祖たちに感謝しながら、 その万感

の気持ちを込めて、これからもこのブログで時々書き綴って、私が愛

する「亀田郷」のことを、今の時代の人たち、これからの時代の人たち

に伝達していきたいと思っています。



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現在の阿賀野川堤防です。(左手に見える建物はリバーサイド輝です)
右手の水面は阿賀野川です。


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