世界歴史 物語③ 三国志「赤壁余話」
      後世の「詩人」 杜牧、美人姉妹を追想す



 昨日のブログで、私が詩人 杜牧を愛好するあまり、次回は杜牧の

「赤壁」の詩を紹介しましょう、と言ってしまいました。

 しかし、漢詩は当然のことながら漢字が並んでいるばかりで、おもし

ろそうではありません、見ただけで難しそうです。

 さらに文法も日本語式ではなく、英文式です。

 例えば、「私は 学校へ 行く」というのは、「私は 行く 学校へ」と書き

ます。

 でも、漢字には一文字一文字意味がたくさん込められています。

 たった一文字でも、その意味を日本語で説明しようとしたら、長々と

した説明になることがあります。

 しかし、慣れてしまえば、ふくよかな味わいが出て、親しめるのでは

ないかと思われます。(もちろん、私などはその域に達していません

が)

 先に杜牧の「赤壁」を説明しておきますと、このようになります。

 杜牧が赤壁の地を訪れたのは、赤壁の戦いの600年くらい後のこと

でした。

 もはや戦争などなかったかのような風景をしています。

 ところが、砂にうずもれた中から錆びた鉄のかたまりのようなものが

出てきました。

 それを洗って、磨いてみると、それはまさしく鉄製の矛のようです。

 しかも、折れています。

 その様子から、戦いに使われたものだと推測できます。

 とすれば、この矛は、その昔、ここに展開されたという、「赤壁の戦

い」のものに違いない、そのすさまじかった戦いの名残の証拠となる

ものです。

 この時、初めて、600年もの昔の戦いが現実のものとなります。

 だとすると、あの時・・・冬の北風の時期に運よく逆の東風が周瑜の

ために吹いてくれなかったら(呉は負けてしまっていただろうから)、周

瑜の妻(小喬)はその姉(大喬)とともに、勝利した曹操に魏の国に連

れ去られてしまっていただろう。

 現に曹操は、赤壁の戦いが終わった後、本国の魏に帰り、その都に

「銅雀台」という華麗な御殿を建てて、大勢の美女をはべらし、宴楽を

繰り返していましたから、もし、美人姉妹の「二喬」を得ていたら、二人

共 曹操の寵妾(ちょうしょう)となって、この館に留め置かされただろ

う。

 「周瑜のために」と言っているのは、赤壁の戦いにおいて呉軍で一

番活躍したのは大都督として任ぜられた周瑜でした。

 呉が負ければ、当然に絶世の美女として有名だった彼の妻小喬も、

姉の大喬も「戦利品」として敵将の手に渡るのは当然のことでしたか

ら、とりわけ「周瑜のために」と言っているわけです。

 詩の構成としては、杜牧は頭脳明晰な人でしたから、まず、赤壁の

戦いが現実にあったことを証拠を示した上で認めさせ、その上で、詩

人 杜牧の「想像」に真実味を持たせ、赤壁の戦いとそれを巡る曹操

の野望、周瑜と小喬の「危機」の帰趨(きすう)やいかに、という「物

語性」に興味を添え、詩情にふくらみを持たせているのです。

 以上、これは私なりの解説です。

 あとは、岩波書店「杜牧詩選」(松浦友久、植木久行 編訳)から、詩

と書下文(かきくだしぶん:漢文を日本語の語順にしたがって読み、仮

名交じりに改めた文)と説明文をそのまま転載しておきます。

0720ブログ

※やっぱり難しかったですか?
 書下文を声をあげて何回も読み、暗記してしまうことが大切です。
 この杜牧の「赤壁」は三行目と四行目が特に杜牧の「味わい」です。
 私が大好きなフレーズです。
 自分がふくよかになった気がしますよ(笑)


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