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2012.04.04
船人は はや漕ぎ出でよ・・・ (会津八一)
船人は はや漕ぎ出でよ・・・ (会津八一)
船人は はや漕ぎ出でよ
吹き荒れし
宵のなごりの
なお高くとも
これは「新潟で日本の歌人」会津八一が戦後数年の頃、宮中歌会
始めに召人として詠んだ歌です。
もちろん「原文」は八一独特の旧かなで書かれていますが、こ
のような現代文で書いてあるのを引用しました。
私は毎年 昨夜のような春の嵐があった朝に必ずこの歌を思おこし
ます。
この歌が詠まれたのは、日本が敗戦してまだ「意気消沈」あるいは
「生活に困窮」している時代だったのでしょうか。
日本の古典に通じて「気骨の芸術家」八一は当時の国民に「気力」
を与えようとしたのではないでしょか。
私は、聞いたことがあります。
昔 新潟高校の当時木造の旧校舎、これは旧制新潟中学から受け
継がれた古い校舎でしたが、これが不慮の火災で焼失してしまった
時、当時は学校の校舎といえば、卒業生や在校生、教員などの
「精神のよりどころ」でもありましたから、関係者はオロオロして、嘆い
ていた中で、OBであって、在新潟の文化人であった八一は駆けつけ
ると「こんげボロ校舎、焼けてどうなる、新しいのを建てればいい」
と言い放ったそうです。
八一は謹厳の人でもありましたが、豪胆の人でもあったらしいです。
昨夜の嵐は近年にしては、特にひどかったと思います。
かなりの被害が出ているかも知れませんが、春の嵐であれば、待
ち望んだ春の前触れだと考えることにして、春の一歩を踏み出しま
しょう。たとえ、まだ風が騒いでいたとしても。
船人は はや漕ぎ出でよ
吹き荒れし
宵のなごりの
なお高くとも
これは「新潟で日本の歌人」会津八一が戦後数年の頃、宮中歌会
始めに召人として詠んだ歌です。
もちろん「原文」は八一独特の旧かなで書かれていますが、こ
のような現代文で書いてあるのを引用しました。
私は毎年 昨夜のような春の嵐があった朝に必ずこの歌を思おこし
ます。
この歌が詠まれたのは、日本が敗戦してまだ「意気消沈」あるいは
「生活に困窮」している時代だったのでしょうか。
日本の古典に通じて「気骨の芸術家」八一は当時の国民に「気力」
を与えようとしたのではないでしょか。
私は、聞いたことがあります。
昔 新潟高校の当時木造の旧校舎、これは旧制新潟中学から受け
継がれた古い校舎でしたが、これが不慮の火災で焼失してしまった
時、当時は学校の校舎といえば、卒業生や在校生、教員などの
「精神のよりどころ」でもありましたから、関係者はオロオロして、嘆い
ていた中で、OBであって、在新潟の文化人であった八一は駆けつけ
ると「こんげボロ校舎、焼けてどうなる、新しいのを建てればいい」
と言い放ったそうです。
八一は謹厳の人でもありましたが、豪胆の人でもあったらしいです。
昨夜の嵐は近年にしては、特にひどかったと思います。
かなりの被害が出ているかも知れませんが、春の嵐であれば、待
ち望んだ春の前触れだと考えることにして、春の一歩を踏み出しま
しょう。たとえ、まだ風が騒いでいたとしても。
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jyouyoukai2312-blog@yahoo.co.jp
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