船人は はや漕ぎ出でよ・・・ (会津八一)  


 
    船人は はや漕ぎ出でよ

    吹き荒れし

    宵のなごりの

    なお高くとも


 これは「新潟で日本の歌人」会津八一が戦後数年の頃、宮中歌会

始めに召人として詠んだ歌です。

 もちろん「原文」は八一独特の旧かなで書かれていますが、こ

のような現代文で書いてあるのを引用しました。

 私は毎年 昨夜のような春の嵐があった朝に必ずこの歌を思おこし

ます。

 この歌が詠まれたのは、日本が敗戦してまだ「意気消沈」あるいは

「生活に困窮」している時代だったのでしょうか。

 日本の古典に通じて「気骨の芸術家」八一は当時の国民に「気力」

を与えようとしたのではないでしょか。

 私は、聞いたことがあります。

 昔 新潟高校の当時木造の旧校舎、これは旧制新潟中学から受け

継がれた古い校舎でしたが、これが不慮の火災で焼失してしまった

時、当時は学校の校舎といえば、卒業生や在校生、教員などの

「精神のよりどころ」でもありましたから、関係者はオロオロして、嘆い

ていた中で、OBであって、在新潟の文化人であった八一は駆けつけ

ると「こんげボロ校舎、焼けてどうなる、新しいのを建てればいい」

と言い放ったそうです。

 八一は謹厳の人でもありましたが、豪胆の人でもあったらしいです。
 
 昨夜の嵐は近年にしては、特にひどかったと思います。
 
 かなりの被害が出ているかも知れませんが、春の嵐であれば、待

ち望んだ春の前触れだと考えることにして、春の一歩を踏み出しま

しょう。たとえ、まだ風が騒いでいたとしても。



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